角田裕毅は頂点と奈落の先に何を見たのか。「人生で最も辛い時期」を越えて掴んだ“気づき”、F1の外から語る5年と覚悟

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2026年のF1グリッドに角田裕毅の姿はない。レーシング・ブルズ、そしてレッドブルで戦った5年間を経て、今季はリザーブドライバーとしてチームを支える立場に回る。デブリーフィングへの参加、シミュレーター作業、チームへのフィードバック提供が現在の役割だ。

開幕戦オーストラリアGPをスクリーン越しに観戦した際、角田はシート喪失の重みをはっきりと感じたという。

「実際、画面越しにレース週末を観るのはかなりキツかったです。バーレーンテストの時はまだ大丈夫だったのですが、レースウィークは全然違いました。それと同時に、自分がこのスポーツをどれだけ愛しているか、どれだけシートに戻りたいと思っているのかを痛感しました」

第2戦中国GPの週末に行われたF1公式サイトのインタビューで、角田はそう語った。

順調すぎたデビューの光と影

F1バーレーンGP決勝レースを9位で終えてインタビューに答えるアルファタウリ・ホンダの角田裕毅、2021年3月28日Courtesy Of Red Bull Content Pool

F1バーレーンGP決勝レースを9位で終えてインタビューに答えるアルファタウリ・ホンダの角田裕毅、2021年3月28日

F1デビューした2021年シーズン。プレシーズンテストで角田はマックス・フェルスタッペンに0.093差の総合2番手を記録した。開幕戦バーレーンGPの予選では、1セットのタイヤでQ1を突破。衝撃の2番手をマークし、7度の王者ルイス・ハミルトンを抑え込んだ。

「ヒーローになった気がしました」と角田は振り返る。ただ期待とは裏腹にQ2で脱落。決勝のスタートでは、ほぼ最後尾まで転落した。それでも9位入賞を果たした初戦は、パドック内外から大きな称賛を集めた。

だがシーズンが進むにつれ、速さと一貫性の間で角田は苦しんだ。数々のクラッシュ、予選での早期ノックアウト、レースでの取りこぼしが続いた。それでも4位フィニッシュという自己最高位でデビューイヤーを締めくくり、翌シーズンの継続参戦を決めた。本格的な手応えは、3年目の後半に訪れる。

「『ああ、いい感じだ』と思い始めたのは3年目の後半からだったと思います。そこで次のステップ、つまりチームリーダーとして責任ある立場に就き、チームから頼られる存在になることを考え始めました」

そのために必要だったのが、自制心の確立だった。最初の数シーズンは無線でチームや担当レースエンジニアに対して怒鳴り散らす場面が目立った。

「最初は問題なかったのですが、次第に行き過ぎるようになっていきました。特に責任ある立場では、感情をぶつけるのではなく、フィードバックを伝える必要があります。半ば、自分の性格を変えなければなりませんでした」

4年目の2024年、レーシング・ブルズの当時のチーム代表ローラン・メキーズから「傑出した存在」と評価されるまでに至った。「感情の面で目標としていたレベルに達し、力強いシーズンを送れました」と角田は振り返る。

昇格と挫折、そして得た”気づき”

フリー走行に向けてガレージ入りする角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2025年4月4日(金) F1日本GPフリー走行(鈴鹿サーキット)Courtesy Of Red Bull Content Pool

フリー走行に向けてガレージ入りする角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2025年4月4日(金) F1日本GPフリー走行(鈴鹿サーキット)

2024年のパフォーマンスはレッドブル昇格への扉を開くはずだった。だがリアム・ローソンに先を越され、角田はレーシング・ブルズへの残留を余儀なくされる。その状況が覆ったのは、開幕からわずか2戦後だった。ローソンが苦戦する中、角田に白羽の矢が立った。

昇格の舞台は鈴鹿サーキット、日本GPだった。

「ずっと待ち続けてきた瞬間でした。しかも地元の日本GPで乗れるなんて……間違いなく、人生最大のハイライトでした」

レッドブル昇格後の最初の4戦で3度の入賞を記録し、マイアミではスプリントでもポイントを獲得するなど、まずまずの滑り出しを見せた。だがイモラでの大クラッシュが転機となった。多くの新パーツを失い、その後は継続的に旧仕様の使用を余儀なくされた。

クラッシュした角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2025年5月17日(土) F1エミリア・ロマーニャGP予選Q1copyright FORMULA 1

クラッシュした角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2025年5月17日(土) F1エミリア・ロマーニャGP予選Q1

7戦連続ノーポイントと苦戦が続く。オランダ、アゼルバイジャン、アメリカ、カタールでトップ10に返り咲いたものの、フェルスタッペンとの大差を埋めるには至らず、2026年シーズンのシートをアイザック・ハジャーに明け渡すことになった。

「日本GP以降は、間違いなくキャリアで、そして人生の中で最も辛いシーズンでした」と角田は語る。「でも同時に、自分について多くを学びましたし、いろいろなことを経験しました。人として大きく成長できたと思います」

レースのないオフ期間を通して気持ちをリセットしようとしても、感情が底まで落ちていく感覚が続いた。角田はその原因が掴めず、外部のサポートを受けた。

「『これは何かを変えないといけない』と思いました。もっと楽しく過ごすために外部の助けが必要でした。それに、自分自身を理解する必要がありました」

「実は自分のことをあまり分かっていなかったと気づいたんです。レース以外で何が自分を幸せにするのか、何が継続的にポジティブなエネルギーを与えてくれるのかを考えるようになりました」

「あのシーズンがなければ、こうした気づきは得られなかったと思います」

12位フィニッシュの決勝レースを経てインタビューに応じる角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2025年10月5日F1シンガポールGPcopyright FORMULA 1

12位フィニッシュの決勝レースを経てインタビューに応じる角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2025年10月5日F1シンガポールGP

リザーブとして迎える新たな挑戦

その気づきは、シート喪失を告げられた際の反応にも表れた。「正直、意外と大丈夫でした。普通に感じました」と角田は語る。レーシング・ブルズへの復帰もかなわず、リザーブとして2026年を迎えることが決まった後も、心は大きく揺れなかった。

現在の角田はフィジカル面でも万全の状態にあるという。

「今でもフィジカル面ではかなり準備しています。今が人生で一番いいコンディションかもしれません。数値的にも去年より良いと思いますし、状態には満足しています。あとは筋肉をドライビングに慣らすための走行が必要なだけです」

「レースをしないと知りながらトレーニングや準備をするのは、正直少し奇妙な感じもします。でも何が起こるか分かりません。チームからもそう言われています。最善の準備をして、チームから声がかかったらしっかりと結果を出す。それだけです」

箕輪大也、岩佐歩夢、マッド・マイク、リアム・ローソンとアーヴィッド・リンブラッド(レーシング・ブルズ)、角田裕毅(レッドブル)、勝田貴元、野尻智紀、笹原右京、2026年3月21日(土) レッドブル・トウキョウ・ドリフトCourtesy Of Red Bull Content Pool

箕輪大也、岩佐歩夢、マッド・マイク、リアム・ローソンとアーヴィッド・リンブラッド(レーシング・ブルズ)、角田裕毅(レッドブル)、勝田貴元、野尻智紀、笹原右京、2026年3月21日(土) レッドブル・トウキョウ・ドリフト

F1復帰に向けては、他のシリーズに参戦してレース感覚を維持することも一つの選択肢だが、角田はパドックに顔を出し続けることを優先している。

「レッドブルだけでなくパドック全体で自分の存在を示すことは重要だと思います。F1で走ることを諦めてはいません。他のカテゴリーでレースをするのも一つの方法ですが、F1の状況が分からなくなる部分もあります」

「将来のことはあまり考えすぎないようにしています。自分でコントロールできない部分なので。それよりも、その日その日でできることを最大限やることに集中しています」

「たとえ最善の状況でなくても、できることはあります。画面越しにレースを観るのは理想ではありませんが、それでもできることはあります」

現時点で復帰の保証はない。それでも角田は、自身にできる最大限の努力を続ける。レッドブルのガレージやパドックで存在感を示し続け、再び訪れるチャンスに向けて、心身ともにかつてないほど充実した状態でその時を待つ。

笑顔を見せる角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2026年3月5日(木) F1オーストラリアGPプレビュー(アルバート・パーク・サーキット)Courtesy Of Red Bull Content Pool

笑顔を見せる角田裕毅(レッドブル・レーシング)、2026年3月5日(木) F1オーストラリアGPプレビュー(アルバート・パーク・サーキット)

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