
時速300kmの世界を裁くAI、F1を支える『RaceWatch』の正体・15年目の到達点
時速300kmで走行中のF1マシンがトラックリミットを越える――人間であるスチュワードが瞬時にこの違反を認識したとしても、その時点でマシンはすでに約60メートルも先を走っている。
マイアミGPを例に取れば、20台のマシンが57周にわたり19のコーナーを駆け抜ける。つまり、90分ほどのレース中に確認すべきポイントは実に21,660箇所に及ぶ。これを人間の目だけでリアルタイムに監視し続けるのは、もはや不可能に近い。
だが2025年現在、国際自動車連盟(FIA)のスチュワードが調査を行うべきケースは、全体のわずか5%にとどまる。残る95%は、オーストラリアのスポーツテクノロジー企業カタパルト社が開発した『RaceWatch』システムにより自動処理されている。
これにより年間1,000時間以上の作業時間が削減され、レース運営が大幅に効率化された。まさにモータースポーツ界における革新だ。
今年、FIAとカタパルトは提携開始から15周年を迎えた。当初は安全性向上を目的とした取り組みとして始まったが、いまやピットレーンからリモート・オペレーション・センター(ROC)まで、レース運営のあらゆる領域に同社の技術が使われている。
1秒以内に検出:トラリミ監視の自動化
両者の協業における最新の成果は、RaceWatchシステムを介して『トラックリミット・コンピュータービジョン(TLCV)』がFIAの意思決定インフラに完全統合されたことだ。
2023年のテストを経て改良が重ねられ、2024年までにFIA管轄下のカテゴリーに展開された。2025年現在は、精度と使いやすさをさらに高め、サポート範囲を拡大している。
カタパルトの最高技術責任者(CTO)ガレス・グリフィスは語る。
「我々は15年かけて、レースディレクターやスチュワードが直面する課題を解決するシステムを構築してきた。TLCVは、モータースポーツに特化した技術がどこまで進化できるかを示す最新の事例だ」
Courtesy Of McLaren
トラックリミットを越えないギリギリのラインでサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)の最終コーナーを通過したオスカー・ピアストリ(マクラーレン)、2023年10月21日F1アメリカGPスプリント
時速300kmでトラックリミット違反が発生した場合、スチュワードが反応するまでのわずかな間に、クルマはバスケットボールコート2面分の距離を走り抜ける。マイアミGPでは、これが20台×57周×19コーナーで繰り返される。自動検出の必要性は明白だ。
AI(人工知能)を構成する代表的技術の一つ、機械学習を駆使したRaceWatchの導入により、トラックリミット判定に係るスチュワードの負担は劇的に軽減された。
違反発生から1秒以内に自動で“フラグ”を立てるRaceWatch。これにより判定の遅延は大幅に減少し、スチュワードはインシデントの追跡ではなく、判断そのものに集中できるようになった。
レース中枢―RaceWatchの正体
とはいえ、RaceWatchは単なるトラックリミット判定システムではない。それは、瞬時の判断と公平な競技運営を支える中核的エコシステムであり、レースのあらゆる要素を統合的に管理するプラットフォームなのだ。RaceWatchは以下の主要な機能を担う。
- インシデント検知とペナルティ検証
- タイヤ・燃料流量の監視
- ピットストップおよびグリッド整列の監視
- チーム戦略・テレビ放送向けのライブデータ供給
FIAシングルシーター部門情報システム戦略責任者のクリス・ベントリーはこう語る。
「カタパルトのシステムは単なるツールではない。スチュワードルームからピットウォールまで、我々の日常業務の一部だ。判定、検証、コミュニケーションの近代化を支えてくれている」
copyright Catapult
オーストラリアのスポーツテクノロジー企業カタパルト社が開発した『RaceWatch』システム、F1を含む国際自動車連盟(FIA)管轄下のレース運営に用いられている、2025年 (1)
サーキット全域とマシンには120台以上の高精細カメラが設置され、30チャンネルを超えるインターコムと連携して常時稼働している。さらに各マシンには4,000個以上のセンサーが搭載されており、1/1000秒ごとに膨大なデータを送信する。これらの情報はRTAPおよびFocusサーバーで統合され、タイミング・テレメトリー・位置情報としてリアルタイム処理される。
たとえば事故やイエローフラッグが発生した場合、システムは自動的に該当セクターのカメラ映像をすべて呼び出し、レースコントロールが即座に状況を把握できるよう支援する。
レースコントロールの判断を支えるのが、遠隔拠点のリモート・オペレーション・センター(ROC)だ。レースコントロールはROCの支援を得てインシデントを特定・タグ付けし、必要に応じてスチュワードへ上申する。スチュワードは『インシデント・ハブ』を活用して、過去の類似ケースを瞬時に照会し、判断の妥当性を検証する。
このように、データ収集から分析・審議までの情報フローが一つのエコシステムとして統合されている。
あらゆる情報は最終的にRaceWatchへと集約される。それは高速なデータ処理と可視化を実現するが、最終判断を下すのは常に専門知識を持つ人間だ。この“テクノロジーと人間の協働”こそが、モータースポーツ最高峰の正確性と公平性を支える基盤となっている。
次世代のレース運営へ
2009年以来、FIAとカタパルトはF1、世界耐久選手権(WEC)、フォーミュラE世界選手権で通算1,000レース以上をサポートしてきた。現在は、RaceWatchとTLCVを中核に据え、判定精度と運営効率をさらに高める技術開発に取り組んでいる。
なお、ピットウォール向けに構築されたリアルタイム監視・意思決定支援技術は、サッカーやラグビー、ホッケーといった他競技にも応用されている。