
日本も無縁ではない…Appleが仕掛ける新たなF1体験、見据える世界展開―総額1200億円の米国放映権取得の裏にある野心
年間240億円、5年総額1200億円――この巨額契約は、F1の視聴体験を根底から変える可能性を秘めている。
F1とAppleは第19戦アメリカGPの初日を迎えた10月17日、2026年から2030年までの5年間にわたる米国での独占放映権契約を発表した。年間1.6億ドル(約240億円)とも伝えられるこの契約は、現時点では米国限定の取り組みだが、同社は世界市場への将来的な展開を視野に入れている。
Appleのサービス担当上級副社長を務めるエディ・キューは、こう語った。
「フォーミュラ1との関係を拡大できることを大変うれしく思う。Apple TVの米国ユーザーに、世界で最もエキサイティングで急成長しているスポーツの”最前列”を提供できて光栄だ」
F1のステファノ・ドメニカリCEOの野心は、さらに壮大だ。
「クレイジーと思われるかもしれないが、それが我々の目標だ。米国で存在感を持つには、文化の一部にならなければならない。朝の家庭でF1が話題になる。それが我々とAppleが共に目指すものだ」
ESPNの7年間が終わり、新時代へ
Courtesy Of Alfa Romeo Racing
フォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)のテレビカメラマン、2022年4月7日F1オーストラリアGP
2018年から米国でのF1放映を担ってきたESPNは、2025年シーズン末で契約を終了する。後継となるAppleとの契約により、2026年以降、全てのプラクティス、予選、スプリント、決勝レースがApple TVで独占配信される。
ESPNは声明を通して「我々とF1が米国で共に成し遂げたことを誇りに思う。最終シーズンを力強く締めくくることを楽しみにしている。F1の今後の成功を願っている」とコメントした。
なぜ今、Appleなのか。なぜこの契約を「革命的」と呼ぶべきなのだろうか。
5つの理由:なぜこの契約は「革命的」なのか
理由1:興行収入940億円のF1映画が築いた”入口”
Courtesy Of Apple Original Films
ブラッド・ピット主演の映画「F1/エフワン」のメインビジュアル (2)
この契約は、全く以て突飛なものではない。その土台には、Appleが制作したブラッド・ピット主演のF1映画の圧倒的成功がある。3年にわたる協力関係を通じて製作された同作は、興行収入6.3億ドル(約940億円)を記録し、史上最も成功したスポーツ映画となった。
ドメニカリは語る。「我々は既に3年間協力し、素晴らしい映画を作り上げた。米国のファンに最高の体験を届け、新しいファンを惹きつけるという共通のビジョンを持っている」
映画という「入口」で新規ファンを獲得し、その熱量を持続させるプラットフォームとしての放映権契約――AppleとF1はともに同じ戦略と道筋を描いている。
理由2:米国内2.9億人のiPhoneユーザーという未開拓市場
Courtesy Of Apple
ブラック、ラベンダー、ミストブルー、セージ、ホワイトの5カラーから選べるiPhone 17
最大のポテンシャルは、Appleのエコシステムが持つ圧倒的な顧客基盤にある。米国だけで約2.9億人のiPhoneユーザーが存在する。F1がこれまで接触できなかった層へのアクセスが現実になる。
キューは「成長の可能性は計り知れない。指数関数的な成長が見込める」と強調し、マクラーレンのザク・ブラウンCEOは、この野心的な見通しについて「かなり現実的な見通しだと思う」と期待を寄せる。
従来のスポーツ専門チャンネルは、すでにスポーツに関心がある層にリーチする。だがAppleのプラットフォームは違う。音楽を聴き、ニュースを読み、フィットネスを楽しむ――そんな日常の中に、F1が自然に溶け込んでいく。
理由3:失敗から学んだ「フリーミアム」戦略
Courtesy Of Apple
Androidユーザーも利用可能となったApple TVとMLS Season Pass
Appleの戦略で最も注目すべきは、従来型の「完全ペイウォール」からの脱却だ。
Apple TV加入者向け
- 全プラクティス、予選、スプリント、決勝を追加料金なしで視聴可能
- 『F1 TV』へのアクセスも無料で付帯
非加入者向け
- シーズン中の数レースおよび全プラクティスを無料配信
- Apple Sportsを通して全予選・スプリント・決勝レースのライブ情報を提供
- ホーム画面に配置できる専用ウィジェット
- ロック画面でフォローできる「Live Activities」機能
F1最高メディア権利・放送責任者イアン・ホームズは説明する。「F1 TVを単体で契約するより、実質的に安くなる。できるだけ幅広い形でF1に触れてもらうことが狙いだ」
この方式は、メジャーリーグサッカー(MLS)の独占配信で苦戦した教訓を活かしたものとみられる。MLSでは追加課金の壁が視聴者獲得の障害となった。Appleはその失敗を繰り返さない。
あらゆるタッチポイントでF1を浸透させ、「視聴者」と「フォロワー」の両方を取り込む。ホームズは、多様化する視聴スタイルへの対応の重要性をこう語る。
「2時間じっくりレース観戦する『ウォッチャー』もいれば、気軽に楽しみたい『フォロワー』もいる。ストリーミングサービスなら、常時接続で様々なコンテンツ形式を提供できる。それが全て一つの場所に集約される」
理由4:Apple全製品でF1を展開する「エコシステム戦略」
Courtesy Of Apple
2025年9月16日にリリースされたiOS 26のスクリーン
Appleは、Apple News、Apple Maps、Apple Music、Apple Fitness+など、自社のあらゆるプラットフォームを使って潜在的な顧客にF1を浸透させる計画だ。キューは語る。
「F1映画で実証したように、Appleが持つあらゆる顧客接点を活用する。スポーツアプリ、音楽、ニュース、全ての能力を総動員する」
朝、Apple Newsでレース結果を確認し、通勤中にApple Musicでチームのプレイリストを聴き、昼休みにApple Sportsでランキングをチェックする――そんなF1中心の生活が、2.9億人の米国iPhoneユーザーに開かれる。
AppleとF1との契約について、メルセデスのトト・ウォルフ代表は「間違いなく、我々にとって大きな追い風になると思う。アメリカだけでなく、世界的にもね」と語り、「Apple Newsは世界最大のニュースフィードだ」と指摘する。
理由5:「文化への浸透」という野心
Courtesy Of Red Bull Content Pool
アメリカ・ニューヨークのチャイナタウンを2011年型レッドブルF1マシン「RB7」で走行するセルジオ・ペレス、2021年10月10日
ドメニカリの目標は、単なる視聴者数の増加に留まらない。
「Appleは単なるプラットフォームではない。テクノロジーとビジョンによって、ユニークなものを生み出す社会的ムーブメントだ」
彼が目指すのは、F1が米国の日常会話に自然に登場する未来だ。NFL、NBA、MLBと並んで、F1が語られる世界。子供たちがハミルトンやフェルスタッペンのレプリカヘルメットをかぶり、カフェでレース展開が議論される――そんな光景を実現するパートナーとして、Appleは選ばれた。
日本におけるApple配信の可能性
「これは米国だけの話ではない」――そう感じた日本のF1ファンは少なくないだろう。そして、その直感はおそらく正しい。少なくとも筆者はそう考えている。
今回の契約は米国限定ではあるものの、Appleが有するのは“グローバルプラットフォーム”という強力な基盤だ。その特性を考えれば、米国での成功次第ではあるものの、日本を含む世界市場へと展開されるのは時間の問題だろう。
実際、全世界のiPhoneユーザーは18億人を超えるとされ、その影響力は国境を軽々と越える。
主要市場の既存契約状況としては、英国でのSkyとの独占契約が2029年まで、ドイツ・イタリアでのSky契約が2027年まで、そして米国でのAppleとの契約が2030年末までとなっている。
つまり、2027年から2030年にかけて、主要市場で一斉に契約更新の波が訪れる。その時、Appleが世界規模での放映権獲得に動く可能性は十分にある。
ドメニカリは直接的な言及を避けながらも、可能性を示唆した。
「グローバルな世界に生きている我々は、既存パートナーを尊重しなければならない。だが、それは他市場での機会を模索することを妨げるわけではない。なぜやらない理由があるだろうか? それが我々とエディが常に考えている大きな未来だ」
キューも慎重な姿勢を見せつつ、長期的な展望を語る。
「まずは今後5年間、これを成功させることに集中している。願わくは、これを永続的な取り組みにしたい。成功させることが、更なる成長への道を開く」
日本のF1ファンは今後数年、AppleとF1の米国での取り組みを注視する必要がある。それが、自分たちの視聴体験の未来を映し出す鏡となる可能性があるからだ。
Courtesy Of DAZN
DAZN大門オフィス、2019年
現在、日本ではフジテレビNEXTとDAZNが放映権を持つが、ともに契約は現時点で2025年末まで。少なくとも来季の契約は継続される可能性が高いと考えられるものの、数年後もそうであるかは不透明だ。
日本は世界的に見てiOSのシェア率が著しく高いことで知られており、国内のiPhoneユーザーは約5,000万人と推定される。AppleとF1にとって、これが”魅力的な市場”と判断されれば、”その時”は予想以上に早く訪れるかもしれない。
もしAppleが日本におけるF1独占放映権を取得した場合、日本のF1ファンにとっては以下のような変化が予想される。
- iPhone、iPad、Mac、Apple TV、あらゆるデバイスでのシームレスな視聴体験
- 4K/HDRなど、最高品質の映像配信
- F1 TVへのアクセス
- ローカライゼーション能力を活かした日本語コンテンツの充実化
- Apple表参道などでのレース観戦イベント
モータースポーツの未来を変える一歩となるか
Courtesy Of Apple
2025年9月26日(金)にリニューアルオープンしたApple 銀座
AppleとF1の提携は、単なる放映権契約を超えた意味を持つ。巨大テクノロジー企業の持つエコシステムとF1が融合することで、スポーツコンテンツの消費方法自体が変わる可能性がある。
かつてNetflixの『ドライブ・トゥ・サバイブ』がF1に新しいファン層をもたらしたように、Appleのプラットフォームは次の10年のF1を定義するかもしれない。違いは、Netflixが「入口」を提供したのに対し、Appleは「生活全体」にF1を織り込もうとしている点だ。
米国での5年間が成功すれば、その良し悪しはさておき、2030年代には世界中のF1ファンがAppleのプラットフォームでグランプリを楽しむ未来が訪れるかもしれない。