シルバーアロー
シルバーアローとは、直訳すると「銀の矢」という意味だが、世界初の自動車メーカーとして知られるメルセデス・ベンツのレーシングカーの事を指す。これは1934年にグランプリレース(F1の前身的存在)に導入された新しいレギュレーション規定がきっかけで誕生した。
20世紀初頭、グランプリのレースカーは各々の国固有のカラーリングにペイントされていた。例えばイギリスチームは「ブリティッシュ・レーシング・グリーン」をまとい、フランスのマシンは「ブルー・ド・フランス」に塗られ、イタリアのチームのクルマは赤でペイントされ、ドイツのメルセデス・ベンツのマシンは白に塗られていた。
シルバーアローの伝説が生まれたのは1930年代の事だった。
シルバーアロー誕生の秘密
1934年6月3日、メルセデスはニュルブルクリンクで開催された国際レース、アイフェル・レースに新車W25を投入した。これは1934年のグランプリシーズンに向けて新たに設計されたレースカーだった。この年は技術レギュレーションが改定され、燃料やオイル、クーラントやタイヤを含まない車の総重量が750kgに制限された。
メルセデス・ベンツW25は、3.4リッター直列8気筒スーパーチャージャー付きエンジンをフロントに搭載した後輪駆動車で、354ps馬力(260kW)を発揮。強力なパフォーマンスを誇っていたが、1つだけ致命的な問題を抱えていた。
それは初レースの前日に発覚した。翌日のレースに向けた計量の際に重量制限の750kgを1kgオーバーしていた事が分かったのだ。規定違反のマシンはレースに出場できない。
チームは絶望的な状況に置かれたが、チーム監督のアルフレート・ノイバウアは塗装を剥ぎ取る事で既定値に収める事を思いつき、メカニック達は徹夜で純白のボディカラーを剥がし取る事となった。
© Daimler AG / W25に乗るマンフレッド・フォン・ブラウチッチュ、1934年6月3日にニュルブルクリンクで開催されたアイフェル国際レースでのスタート直前の様子
翌朝、アルミの地肌(シルバー色)そのままで再計量し、W25は見事に規定重量ジャストで計量をパス。レースではマンフレッド・フォン・ブラウヒッチュがステアリングを握り、平均時速122.5km/hを記録してニュルブルクリンクのコースレコードを更新。鮮やかに優勝をかっさらった。以降、メルセデスのマシンは「シルバーアロー」と呼ばれる事となった。
W25はその後もレースへの参戦を続け、750kg規定の最終シーズンとなった1937年まで活躍した。
メルセデスはモータースポーツ生誕125周年を記念して、母国ホッケンハイムリンクで開催された2019年F1第11戦ドイツGPで、”シルバーアロー物語”を表現する特別仕様のW10を走らせた。
この特別な”ホワイトアロー”は、1934年6月3日のエピソードにヒントを得て、白いラッピングの下に銀色のボディーが透けて見える意匠が施された。”塗装が剥ぎ取られたようなデザイン”と言った方が良いかもしれない。ノーズ先端には、1926年にベンツとダイムラーが合併した際にデザインされた昔のロゴがプリントされた。