ブルーノ・セナ
人物データ
名前 | ブルーノ・セナ / Bruno Senna Lalli |
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国籍 | ブラジル |
出身地 | サンパウロ |
生年月日 | 1983年10月15日 / 40歳 |
身長 | 180cm |
体重 | 69kg |
F1デビュー | 2010年 |
WEBサイト | www.brunosenna.co.uk |
SNS |
ブルーノ・セナとは、ブラジル・サンパウロ市出身のF1ドライバーのこと。F1ワールドチャンピオン、アイルトン・セナの姉であるビビアーニ・セナの長男であり、アイルトンの甥にあたる。本名ブルーノ・セナ・ラッリ。
アイルトンとブルーノ
アイルトン・セナはブルーノのドライビングの才能を高く評価していたと言われている。叔父の影響は大きく、ブルーノ自身は小さい頃からF1ドライバーを目指していた。しかし、1994年5月1日のサンマリノGPでアイルトンが死去、翌年にはブルーノの父親のフラビオ・ラッリがバイク事故で他界。ブルーノは母によってモータースポーツを禁止される。
セナの死の10年後、ゲルハルト・ベルガー達が説得にあたったことでようやく家族はレース活動を許可することとなり、ブルーノはレース活動を再開した。
イギリスF3時代-2005~2006年
キミ・ライコネンが共同出資者として名を連ねるライコネン・ロバートソン・レーシングに所属。ランキング10位でシーズンを終えた。2006年も引き続き同チームからイギリスF3に参戦した。オーストラリアのF3レースで初優勝。
GP2時代-2007~2008年
creativeCommonsJaffa The Cake
2007年はアーデン・インターナショナルからGP2に参戦し、スペインのレース2で優勝を記録した。2008年、前年のチャンピオンチームであるiSportに移籍しモナコGPとイギリスGPで2勝を上げたがジョルジオ・パンターノに9ポイント届かずシリーズ2位となった。
ル・マン・シリーズ-2009年
2009年はル・マン24時間レース及びル・マン・シリーズに参戦。
HRT時代-2010年
creativeCommonsNelson Wu
カンポス・グランプリ(後にヒスパニア・レーシング ⇒ HRTに名称変更)からF1に参戦。HRTはシーズン前のテストを一度も行えないまま開幕戦に突入するなど競争力のないマシンでのF1デビューとなった。
ロータス・ルノーGP時代-2011年
ロータス・ルノーGPのリザーブドドライバーに就任。ベルギーGPにてニック・ハイドフェルドに変わって出走し、そのままレギュラードライバーとなる。
ウィリアムズ時代-2012年~
2012年ルノーから解雇されたブルーノは、多額の資金も相まってAT&Tウィリアムズのシートを獲得し、同チームから参戦も成績奮わずシーズン末にシートを喪失した。ウィリアムズは2013年のドライバーラインナップとして、パストール・マルドナドの残留とバルテッリ・ボッタスの昇格を発表した。