アルピーヌのリザーブドライバーを務めるオスカー・ピアストリ、2022年
Courtesy Of Alpine Racing

離脱の意思を2度に渡って伝えていたピアストリ、 アルピーヌの「異様で腹立たしい」行動について初めて口を開く

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晴れてマクラーレンでのF1デビューが決定したオスカー・ピアストリは、アルピーヌに対して前もって2度に渡ってチームを去る意思を伝えていた事を明かし、来季の起用発表を巡るチームとのやり取りは「異様で腹立たしい」ものだったと語るなど、一連の騒動を経て初めて口を開いた。

2019年から3年連続でジュニアシリーズを制し、最も才能ある若手と見なされていたピアストリは常に注目の的だった。FIA-F2選手権とF3の連覇という偉業は、過去にシャルル・ルクレールとジョージ・ラッセルが達成したのみだ。

2021年FIA-F2選手権チャンピオンに輝いたオスカー・ピアストリ、2021年12月11日ヤス・マリーナ・サーキットにてCourtesy Of Formula Motorsport Limtied

2021年FIA-F2選手権チャンピオンに輝いたオスカー・ピアストリ、2021年12月11日ヤス・マリーナ・サーキットにて

ただ、ルクレールとラッセルがチャンピオン獲得を経てすぐにF1デビューを果たしたのとは対照的に、ピアストリは2022年にアルピーヌのリザーブドライバーに収まることを余儀なくされた。

その上、2024年までレースシートが得られない状況であったとすればどうだろう。アルピーヌはフェルナンド・アロンソとの契約更新を最優先事項に挙げていた。

契約承認委員会(CRB)の裁定を経て、ルーキーとして2023年にランド・ノリスとコンビを組んでF1デビューする事が決まったピアストリは、F1公式サイトとのインタビューの中で、マクラーレンに接触したのはアルピーヌでの自身の将来が不透明と感じたためだと説明した。

「正直に言うと、アルピーヌでの僕の将来は明瞭さを欠いていた」

「チームは少なくともあと1年か2年はフェルナンド(アロンソ)と一緒に続けたいと公言していたから、僕はそれを尊重した」

「僕の希望はアルピーヌのシートでデビューする事だったけど先行きが不透明だったし、フェルナンドと同じように交渉に関して少し奇妙な感覚を覚えたから、(チームに留まる事が)正しい決断だとは思えなかったんだ」

「将来が読めない状況の中、最終的には信頼関係が崩れてしまった。先の事を考えるとマクラーレンが僕にとってベストな居場所だと感じたんだ。すごく魅力的なオファーだったし、やり取りや関係もポジティブだったからね」

アルピーヌのリザーブを務めるオスカー・ピアストリとフェルナンド・アロンソCourtesy Of Alpine Racing

アルピーヌのリザーブを務めるオスカー・ピアストリとフェルナンド・アロンソ

アルピーヌは8月初めにアロンソの後任としてピアストリの起用を発表したものの、ピアストリはSNSを通してこれを否定。物議を醸した。

この件についてピアストリは、発表前に2度に渡ってアルピーヌ側に離脱の意思を伝えていた事を明かし、これを無視してリリースを発行したチームに対する不信感をあらわにした。

「僕に関する決定は(アロンソの離脱より)かなり前になされていたから、アルピーヌの発表には混乱したし動揺したよ」

「だってチームに対して続ける意思がない事を伝えていたんだから」

「あの発表は不誠実だった。かなり腹立たしかった。エンストンのみんなにきちんと別れを告げる機会もなかった」

「チームには2年半ほど在籍していたわけだけど、僕があのような形で去ることになったのを知って、みんな当惑していた」

「お別れを言う機会がなかったから、エンストンで働いているみんなに感謝の気持ちを表すために、こういう場を設けることにしたんだ」

チーム代表のオトマー・サフナウアーは例のリリースの発行前に、シミュレーターセッションに取り組んでいたピアストリ本人に説明しに行き「笑顔で感謝された」と明かしている。

だがピアストリは「あれは異様で、率直に言って腹立たしいエピソードだった」と非難した。

「状況を知らない何人かのメンバーの前で公然と言われたものだから、彼らの前で騒ぎを起こしたくなかったんだ」

「2人きりになってからオトマーに、自分たちの立場と、その前に何度も伝えていた事を改めて伝えたんだ。あの発表は本当にびっくりした」

アルピーヌの発表は「誤り」であり「来年、アルピーヌで走る事はない」とした例の投稿を振り返ってピアストリは、マネージャーを務める元F1ドライバーのマーク・ウェバーを含むマネジメントチーム共々、そうする事が必要だと判断したのだと説明した。

「あれは僕のキャリアで最大の瞬間だったし、おそらく今までの人生で最大の瞬間だった。あの誤った発表を否定しないと法的な影響を受ける可能性もあったし、マネジメントと僕は正さなきゃならないと感じたんだ」

「指摘しようとしたわけじゃなく、あれは事実以外の何ものでもなかった。最後の件はかなり強烈なものだったけど、CRBの裁定によって事実であったことが示された」

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