シュタイナーのF1技術トップ不適格は”明白”だったとホーナー、鬼才ニューウェイを口説きに
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ギュンター・シュタイナーに少なからずテクニカル・ディレクター(TD)としての素質があるとクリスチャン・ホーナーが見なしていれば、F1におけるレッドブルの輝かしき歩みは少し違ったものになっていたかもしれない。
だが実際には、F1技術トップの器でないことは「明らか」だと即断し、「F1史上最高のエンジニア」を口説き落とすべく、マクラーレンに所属していたエイドリアン・ニューウェイの元に足繁く通い始めた。
世界ラリー選手権(WRC)のメカニックとして1986年にキャリアを始めたシュタイナーはTD、チームマネージャー等を経て2001年にマネージング・ディレクターとしてレッドブルの前身、ジャガーF1に加わった。
その後、一旦はミルトンキーンズのチームを離れるも、ディートリッヒ・マテシッツによる買収を経てレッドブルが誕生すると同時に、TDとして古巣にカムバック。だが、その職務を遂行できる適切な能力はないと判断された。
英朝刊紙「i」とのインタビューの中でホーナーは、「ギュンターは昔も今もキャラが立っているが、テクニカルリーダー(の器)でないことは明らかだった」とシュタイナー更迭の経緯を振り返った。
「私は、チームに必要なのは技術的なリーダーシップ、そして方針だと特定した。だから、かなり早い段階からエイドリアンに接触し始めたんだ」
当時のホーナーについてニューウェイは後に、「クリスチャンは2005年を通して、私がパドック入りすると必ず鉢合わせるようにやってきた」と回顧している。
1年を待たずにTDの座をニューウェイに譲ったシュタイナーは、レッドブルのNASCARプロジェクトへと移った。その後、F1への新規参戦を目指していたジーン・ハースを全面的に支え、2016年にハースF1チームのプリンシパルとして4輪最高峰に復帰した。
元レーシングドライバーのホーナーは、自身が設立したジュニア・レーシングチーム「アーデン」の経営を通して、人材を適材適所に配置する事の重要性を学んだ。
ホーナーは「面倒を見て、快適に過ごせる環境を整えることができれば、彼らは忠誠心を示してくれる」として「適切な人材を適切な役割に就かせて権限を与え、そして適切な雰囲気を作ることが重要だ」と付け加えた。
ホーナーは2004年、ヘルムート・マルコがマテシッツに推薦した事で31歳という若さでレッドブルF1チーム代表に就任するが、当時はアーデンをF1に参戦させるべく動いていた。
「アーデンをどうやってF1に連れていけるかを考えていた。バーニー(エクレストン)は私にジョーダン・チームを推していた」とホーナーは振り返る。
「2004年の夏、ヘルムートがザルツブルグでディートリッヒに会うよう誘ってきた。ジョーダンとの契約は実現せず、レッドブルがジャガーを買収した。そして2004年末、ディートリッヒに再び呼ばれ、チーム代表への就任を依頼されたんだ」