
F1、”史上最も大きな影響を与えた人物”を決めるトーナメントを開催
今年70周年のアニバーサリーを迎えたF1世界選手権は、F1に対して史上最も大きな影響を与えた人物を決めるトーナメント戦「Most Influential Person In F1 History」の開催を発表した。
昔からよくある議論の一つに最も偉大なドライバーを問うものがある。これについてはアイルトン・セナやらミハエル・シューマッハ、ファン・マヌエル・ファンジオなど様々なドライバーを推す意見があるが、今回のトーナメントは対象をドライバーに限定したものではない。
革新的な発想でエンジニアリングを一新させたエンジニアなのか、はたまた暴れるマシンをねじ伏せて数々のタイトルを手にしたドライバーなのか、常勝チームを作り上げたチームプリンシパルなのか、それとも統治者として今のF1の原型を作り上げた人物なのか…。
F1は今回、ドライバー、チーム代表、イノベーター、ゲームチェンジャーの4カテゴリーを設定し、その各々で8名ずつ、計32名の著名人候補者を選出した。ドライバー枠での勝者とチーム代表枠の勝者、そしてイノベーター枠およびゲームチェンジャー枠で勝ち残った者同士が準決勝を争い、その後ファイナルが行われる。
© Formula One World Championship Limited
「影響を与えた」には解釈の余地があり、また候補者の選出基準も曖昧で、トーナメントという形式の採用が象徴するようにあくまでも”エンターテインメント”としての側面が強いが、F1は「専門家達にリストの作成を依頼し、多くの議論を経て決定した。信じて欲しいが、絞り込みの作業は非常にハードで、議論は何日にも及んだ」と説明している。
70年前の状況を知る者よりも、ここ20年の状況に慣れ親しんでいる識者が多い事は明らかで、その結果として年代的に新しい人々の名前が多く並んでいる傾向が見て取れるが、リストに並ぶ名前は非常に興味深いものがある。
まずはドライバー枠での勝者を決める第一回目の投票が5月4日(月)から公式サイトで実施される。これに続いて他のカテゴリーの投票が行われた後、5月13日、つまり1950年にシルバーストンで開催された第1回F1世界選手権グランプリの70年目の記念日に優勝者が発表される。
エントリーリスト
ドライバー枠
No. | 氏名 | 選出理由 |
---|---|---|
1 | ジャッキー・スチュワート | ドライバーとして3度世界の頂点に輝き、チームオーナーとしても勝利し、不断の安全運動家でもある |
2 | ミハエル・シューマッハ | あらゆる記録を塗り替えて新基準を打ち立て、新世代のF1ファンとドライバーにインスピレーションを与えた |
3 | アイルトン・セナ | アラン・プロストとのF1史上最も激しいライバル関係の一翼を担い、今日まで続く熱狂的なファンを生み出した |
4 | ルイス・ハミルトン | デビュー1周目から力を見せつけ、F1初の黒人ドライバーとして独自の道を切り開いた |
5 | ファン・マヌエル・ファンジオ | おそらくはF1最初のレジェンドであり、彼が打ち立てた記録はその後40年以上も破られる事はなかった |
6 | ジャック・ブラバム | オーストラリア人ドライバーの先駆的存在で、ドライバーとして3度世界選手権を制しのみならず、自らのチームでもタイトルを獲得した唯一の人物 |
7 | ニキ・ラウダ | 3度の世界王者あり、おぞましい事故を乗り越えて復帰し再び勝利を収めた不死鳥。ドライバー引退後はメルセデスチームで重要な役割を果たした |
8 | マックス・フェルスタッペン | 僅か17歳でこのスポーツに参戦し、若手ドライバーという言葉を再定義した。すでにF1最大のファン・フォロワーを築いている |
ゲームチェンジャー
No. | 氏名 | 選出理由 |
---|---|---|
1 | バーニー・エクレストン | 40年以上をかけて、野良レースに過ぎなかったF1を世界的なスポーツへと変革させ、チームオーナーとしても勝利を収めた |
2 | マックス・モズレー | エクレストンの盟友であり、FIA会長として1994年以降、F1の安全性向上に大きく貢献した |
3 | シド・ワトキンス | “F1ドクター”と称され、他の誰よりもこのスポーツの医療と安全性に革命を起こした人物 |
4 | ディートリッヒ・マテシッツ | スポンサーとして、そして2つのF1チームのオーナーとして、F1チーム運営の新しいカタチを示した |
5 | ロス・ブラウン | シューマッハ7冠の立役者であり、撤退するホンダチームを消滅から救いチャンピオンに導いた。現在は次世代F1マシン及び規約の策定に力を注ぐ |
6 | ヘルムート・マルコ | レッドブルのジュニアプログラムを統括し、セバスチャン・ベッテル、ダニエル・リカルド、マックス・フェルスタッペンをF1に導いた |
7 | マレー・ウォーカー | F1史上最も多くの人々から愛された英国出身の伝説的コメンテーター。1976年から2001年にかけてテレビ解説者として活躍した |
8 | ヘルマン・ティルケ | 新世代F1サーキットのデザイナー。今日のカレンダーに載る多くのコースが彼の設計図から始まっている |
チーム代表
No. | 氏名 | 選出理由 |
---|---|---|
1 | エンツォ・フェラーリ | F1で最も伝説的なチームの創設者 |
2 | ロン・デニス | 無意味を嫌う完璧主義者のチームオーナー。マクラーレンをF1の模範的チームに育て上げ、約40年に渡って多大な成功を収めた |
3 | ジャン・トッド | 荒れ果てたフェラーリを何年もの歳月をかけて立て直し、恐るべき容赦のない常勝チームに変革した。現在はFIA会長として世界中の交通安全を推進 |
4 | コリン・チャップマン | チームビルダーでありエンジニア。数え切れない数の技術革新によってロータスを成功に導いた |
5 | フランク・ウィリアムズ | F1史上2番目に成功したチームの創設者。1986年の衝撃的な事故にもかかわらず、F1最後のインディペンデントオーナーとして今なお健在 |
6 | トト・ウォルフ | F1史上最も支配的なチームの創設に貢献し、ルイス・ハミルトンとの強力なパートナーシップを築いた |
7 | クリスチャン・ホーナー | F1史上最年少チーム代表としてレッドブルに着任するも、すぐにチームを勝利へと導いた |
8 | フラビオ・ブリアトーレ | F1経験なき状態でベネトンに加入するも、すぐさまシューマッハと共にチームを勝利に導き、フェルナンド・アロンソやマーク・ウェバーなど多くのドライバーのマネージャーも務めた |
イノベーター
No. | 氏名 | 選出理由 |
---|---|---|
1 | エイドリアン・ニューウェイ | F1で最も成功したエンジニアであり、ウィリアムズ、マクラーレン、レッドブルでチャンピオンを獲得したマシンの設計者 |
2 | ゴードン・マレー | “ファンカー”に代表される過激なデザインコンセプトの先駆者。自由な発想でブラバムとマクラーレンのタイトル獲得に貢献した |
3 | ジョン・バーナード | カーボン製モノコックとセミオートマチックギアボックスを採用する現行マシンの基礎をF1に導入。マクラーレン、フェラーリ、ベネトンで成功を収めた |
4 | パトリック・ヘッド | ヘッドなくしてウィリアムズの成功はなかった。パワフルかつ技術的にも秀でており、史上最も先進的なF1マシン「FW14B」の開発を監督した |
5 | ジョン・クーパー | イギリスをモータースポーツ技術超大国として確立し、F1にリアエンジン車を導入してスポーツに革命をもたらした |
6 | アンディ・カウエル | F1で最も支配的なパワーユニット、メルセデスのハイブリッドV6の開発責任者 |
7 | コスワース | マイク・コスティンとキース・ダックワースは不可分であるため”コスワース”としてエントリー。DFVエンジンは技術革命をもたらし、F1史上最も広く使われ成功を収めた |
8 | マウロ・フォルギエーリ | フェラーリ初のターボエンジンを設計。リアウイングの概念をF1に導入し、1960年代から70年代にかけて数々の勝利とタイトルをフェラーリにもたらした天才エンジニア |