レッドブルにおけるヘルムート・マルコの知られざる立場、予断許さぬマテシッツ亡き後の進退
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ヘルムート・マルコは一般的に「レッドブル・レーシングのモータースポーツ・アドバイザー」あるいは「チームコンサルタント」という形容詞と共に紹介されるが、正式には法人登記簿に名前があるF1チームの経営者だ。
79歳のオーストリア人実業家は2023年現在、チーム代表のクリスチャン・ホーナーと並び、2人しかいないレッドブル・レーシング社の取締役の一人である。
マルコは1970年代前半にニキ・ラウダと共にF1デビューを飾り、事故により目を負傷した事で引退を余儀なくされると、オーストリア国内でホテル経営者としての第2の人生を歩み始めた。
その後、レーシングチームのオーナーを経てレッドブルの若手ドライバー育成プログラムの責任者に就任。セバスチャン・ベッテルやマックス・フェルスタッペンといったF1ワールドチャンピオンを発掘・育成してきた事はよく知られる事実だ。
マルコがレッドブル・レーシング社の取締役に就任したのは2004年12月14日、つまり「ジャガー・レーシング」から「レッドブル・レーシング」に社名が変更された2日後の事だ。契約書もなくフランクにチーム運営の手伝いを打診されての事だったようだ。
以来経営陣の一人として英国ミルトンキーンズのチームに関わってきたが、同じ日に取締役となったレッドブルGmbHの創業者ディートリッヒ・マテシッツは昨年10月、この世を去った。
マテシッツとの個人的関係からマルコは、ある面においてはチームの最高経営責任者であるホーナーよりも深く重要事項の決定に関わってきた。
マテシッツの死去に伴いオリバー・ミンツラフがレッドブルF1ファミリーの事実上のトップに就任した事で、オーストリア本社との橋渡し役のあり方も変わった。
Speedweekとのインタビューの中でマルコは「トレーニングセッションやレースが終わるたびに電話で報告する、ということは、もはやない。直接的で、個人的で、友好的な関係は、もうないんだ。ディディ(マテシッツ)は先見の明を持った情熱的な人だった。だが、もうそういうことはない」と語った。
マテシッツ亡き後のこの半年間の間でミンツラフと会ったのは僅か2回だという。マルコは「我々のアイデアにどこまで応えてくれるかは、まだ分からない」とした上で、今後は本社からの支配が強化され、チームとしての独立性が失われる事もあり得ると仄めかした。
そして「私は自由人なんだ。もう楽しくないと思えばいつでも辞められる」と述べ、今後の状況次第では自らレッドブルを離れる可能性がある事を認めた。
実はレッドブル・レーシングは直接、オーストリアのエナジードリンク企業に支配されているわけではない。同社はマテシッツ個人が筆頭株主であるレッドブル・テクノロジー社を通してコントロールされている。
なおホーナーはレッドブル・テクノロジーの役員でもあるが、マルコはそうではない。