監督兼プロデューサーのジョセフ・コシンスキー、映画『F1:The Movie(邦題:F1/エフワン)』撮影現場にて
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”聖域”にまで踏み込んだ『F1』映画セットが凄い―12台もの特製マシン、ハミルトンを”恐怖”させたAPXGPガレージ

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ブラッド・ピットとダムソン・イドリスが主演を務める映画『F1/エフワン』の撮影現場で、“思わぬ事件”が起きた。

場所はF1イギリスGPの舞台、シルバーストンのピットレーン。本物のメルセデスとフェラーリのガレージに挟まれるかたちで設置された映画用セット「エイペックスGP」のガレージを見学に訪れたのは、プロデューサーを務めるルイス・ハミルトンだった。

「『怒られるかも――こっちのガレージのほうがうちのよりカッコいい』って彼が言ったんだ」

プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーは、その時のことを笑いながら振り返る。「最高の賛辞だったよ」

さらに、英国モータースポーツ界のレジェンド、ジャッキー・スチュワート卿も「60年間F1に関わってきたが、これは今まで見た中で一番カッコいいガレージだ」と絶賛した。こうした反応の裏には、細部まで“リアル”を追求したセット設計の努力があった。

“聖域”まで─美術監督の徹底リサーチ

ビジュアル設計を担ったのは、美術監督のマーク・ティルデスリーとベン・マンロー。監督ジョセフ・コシンスキーから託された使命は「リアリティの追求」だ。

「ジョー(監督ジョセフ・コシンスキー)からのリクエストは、現実世界とのシームレスな一体感を作ることだった」とマンローは語る。

F1の全面的な協力により、彼らは普通では絶対に入れない場所にアクセスすることができた。世界中のメディアに公開されているガレージの前面部分ではなく、”裏側”の部分――各チームの”聖域”まで徹底的に分析した。

「マクラーレン、アストンマーチン、メルセデスのガレージに実際に足を運び、どのチームにも似すぎず、それでいて実在するように見える――そんな幅広い要素を取り入れた全体像を構築することができた」

巨匠カラトラバからインスピレーション

デザインの出発点は“現実”にあった。リアルF1チームが持つ洗練された“スリック”なガレージに注目した美術チームは、その表現に建築家サンティアゴ・カラトラバの作風を重ね合わせた。流れるようなフォルムと柔らかな曲線美を特徴とするカラトラバの建築哲学が、ガレージデザインの着想源となったのだ。

「ジョー(監督のジョセフ・コシンスキー)は元々建築を学んでいたから、我々がなぜカラトラバを参考にしたいのか、すぐに理解してくれた」とマンローは振り返る。

ミルウォーキー美術館(サンティアゴ・カラトラバ設計)の入口であるクアドラッチ・パビリオンに設けられた対の階段と地下駐車場、2021年10月30日creativeCommons Don Sniegowski

ミルウォーキー美術館(サンティアゴ・カラトラバ設計)の入口であるクアドラッチ・パビリオンに設けられた対の階段と地下駐車場、2021年10月30日

良いデザインとは、“本物らしさ”と“独自性”のあいだで、いかに繊細なバランスを取れるかにかかっている。あまりにも既存のF1チームに似すぎていれば没個性になり、逆に独自性が強すぎると、リアリティを失って観客の没入感を損なってしまう。

だからこそ、カラトラバのような現実世界の美学を取り入れることに意味があった。

光の当て方に求めた“機能美”

洗練されたデザインを追い求める一方で、デザインチームは“機能美”の追求にも一切の妥協を許さなかった。映画の中でガレージとしてリアリティを持って機能すること、そして映画セットとして俳優やカメラにとっても実用的であること――その両立が求められた。

中でも最大の難所となったのが「照明」だった。F1マシンの美しい光沢感を際立たせながらも、俳優の表情に均一で柔らかな光を当てる必要があった。これを実現するために、チームは幾度も試作と調整を繰り返した。

最終的にたどり着いたのは、ガレージ内に設置された専用のライトボックス。これは、車体や俳優に対して陰影を強調しすぎず、あらゆる角度から均質で自然な光を与えるように精密に設計された。デザインと実用性の融合――まさに“機能美”が極まった瞬間だった。

“実在感”を凝縮したAPXGP本社

もうひとつの重要なロケーションが、エイペックスGPの本拠地だ。ここでも映画制作チームは、本物のF1チーム施設を徹底的にリサーチし、そのエッセンスを余すことなく取り入れた。

未来的な外観を誇るマクラーレン本社(設計:ノーマン・フォスター)、精密な製造が行われるメルセデスの車両ファクトリー、そして空力研究の象徴ともいえるウィリアムズの風洞実験施設――こうした各チームの象徴的要素を巧みに融合し、まるで“実在する”かのような統一感ある本拠地が完成した。

英国サリー州ウォーキングにあるマクラーレン・テクノロジー・センター、2024年Courtesy Of McLaren

英国サリー州ウォーキングにあるマクラーレン・テクノロジー・センター、2024年

「複数のチームの要素を組み合わせているのは、彼らへの敬意の表れでもある。彼らが我々を受け入れてくれたように、我々も彼らを受け入れている――それを映像の中で示したかった」とマンローは語る。

現実のF1に深く根ざしたこのアプローチが、フィクションに息吹を与え、“リアルと虚構の境界線”を曖昧にする没入感を実現している。

時速320キロで駆け抜ける“本物”のマシン

映画で俳優たちと肩を並べる“キャラクター”として、ひときわ存在感を放つのがエイペックスGPのマシンたちだ。

「映画用に外見だけ本物っぽく仕上げたクルマじゃない。最初から、実際に時速320キロで走れる本物のレーシングカーを使っているんだ」と、コシンスキー監督は語る。

ブラッド・ピット主演のF1映画『F1/エフワン』のシーン (5)Courtesy Of WARNER BROS. ENT

ブラッド・ピット主演のF1映画『F1/エフワン』のシーン

この“本物志向”を支えたのが、プロデューサーとしても名を連ねるハミルトンの存在だった。彼は、メルセデスF1の代表であるトト・ウォルフとの橋渡し役を担い、撮影プロジェクトにF1の最前線を引き込んだ。

ウォルフは、F1に酷似した外観を持ち、同時に運用面でも実用的なF2マシンの使用を提案。さらに、メルセデスのアプライド・サイエンス部門からの設計支援と技術的バックアップを申し出た。

こうして、誕生した見た目だけでなく性能面でも“リアル”なマシンは、これまでにない“臨場感”をスクリーンに届ける。

なぜF2マシンが最適だったのか

F2はF1の登竜門として位置づけられ、スーパーフォーミュラ等と並ぶ“世界で2番目に速い”フォーミュラシリーズと評される。多くの若手ドライバーが、このカテゴリーで実力を証明した上でF1への道を切り拓いてきた。

F1マシンは一台ごとにフルオーダーメイドで製作され、設計から試験、改良に至るまで数年単位の開発工程が必要とされる。その上、極めて高度な機密技術が盛り込まれており、同じ仕様のマシンはふたつとして存在しない。

一方、F2マシンは全チームが共通シャシーと標準エンジンを使用し、パフォーマンスの均一性が保たれている。それでも最高速度は約320km/hに達し、コアなファン以外の目から見れば、F1と遜色ないパフォーマンスを誇る。

僚友ジョセップ・マリア・マルティをリードするFIA-F2選手権史上最年少ウィナーアーヴィッド・リンブラッド(カンポス・レーシング、17歳243日)、2025年4月19日(土) FIA-F2選手権第3戦ジェッダ市街地コースCourtesy Of Red Bull Content Pool

僚友ジョセップ・マリア・マルティをリードするFIA-F2選手権史上最年少ウィナーアーヴィッド・リンブラッド(カンポス・レーシング、17歳243日)、2025年4月19日(土) FIA-F2選手権第3戦ジェッダ市街地コース

映画制作においては、12台もの車両(うち6台はクラッシュシーン専用)が必要とされ、加えて連日の長距離走行にも耐えうる堅牢性が求められた。こうした条件をすべて満たしたF2マシンは、スピード、耐久性、実用性の面で理想的な選択肢だった。

リアリティと現実的な運用の両立が可能となったのは、このF2マシンあってこそだった。

メルセデスが専用設計「200ミリ延長」の特別仕様

「最初の打ち合わせのひとつは、メルセデスAMGの“アプライド・サイエンス部門”とのミーティングだった」と語るのは、アクションビークル部門スーパーバイザーのグラハム・ケリーだ。

「エンジニアや空力担当者もこの方針に賛同し、標準のF2マシンをベースに、全長を200ミリ延長した特別仕様の車体を設計してくれたんだ」

この専用設計によって、マシンの外観にリアルなF1らしさを加えるだけでなく、撮影に必要な機材を内部に組み込むための物理的スペースも確保された。

車体の設計が完了すると、次に行われたのはカメラの搭載作業だった。撮影監督クラウディオ・ミランダが希望するカメラ設置位置を指定し、それに合わせてマシン内部を改造するのがケリーの役割だった。

「床下、ラジエーターと吸気口の手前のわずかな空間に、なんとか3台のカメラ本体とバッテリー、そしてそれを制御する無線機器を収めることができた。まさにギリギリの設計だった」と、当時を振り返る。

撮影中は“F1レース1本分”を毎日走破

こうして完成したマシンは、映画の撮影現場で容赦なく酷使された。

「毎日170~250キロメートルを走る――それはF1のチャンピオンシップレース1本分の距離に匹敵する」とケリーは語っている。

その過酷な走行は連日のように繰り返され、なかには累計9,000キロメートルを走破したマシンもあったという。グランプリレースが世界を転戦する裏側で、映画のために走り抜いた12台のレーシングカーが、物語にリアリティと魂を吹き込んでいた。