
ありがとう、ジェンソン・バトン―45歳「後悔なき」引退。日本が愛したF1王者・そのキャリア、モータースポーツ人生に幕
2009年のF1ワールドチャンピオン、ジェンソン・バトンがレーシングドライバーとしてのキャリアに終止符を打った。イギリス・フルーム出身の45歳は、2025年11月8日に開催されたFIA世界耐久選手権(WEC)最終戦バーレーン8時間レースにキャデラックから出走し、16位でフィニッシュ。これがプロドライバーとしての最後のレースとなった。
イギリスの公共放送『BBC Sport』によると、バトンは引退レースを終えて「後悔は全くない。キャリアでやりたかったことすべて、そしてそれ以上のことを成し遂げた」と語り、自身が愛したモータースポーツに別れを告げた。
Courtesy Of FIAWEC / DPPI
ガレージで話すジェンソン・バトン(キャデラック・ハーツ・チーム・ジョタ/38号車キャデラックVシリーズ.R)、2025年11月6日(木)〜8日(土) FIA世界耐久選手権(WEC)バーレーン8時間(バーレーン・インターナショナル・サーキット)
F1引退後も挑戦を続けた8年間
2017年にF1から引退した後も、バトンのレースへの情熱は衰えなかった。ル・マン24時間レースをはじめとする耐久レース、スーパーカー、Extreme E、ラリークロスなど、多彩なカテゴリーに参戦し続けた。
その理由についてバトンは「僕は自分のことを『F1ドライバー』じゃなく、『レーシングドライバー』だと思っているからね」と明かす。
だが、45歳を迎えた今、家族との時間を優先する決断を下した。
「引退するに適切なタイミングだ。レースには多大なコミットメントが必要だ。移動、準備、精神的負担――そのエネルギーを今は別のことに使いたい」
「子供たちの成長はあっという間だ。その時間を見逃したくない。やり残したことは何もない。自分のキャリアに満足している」
プロとしての輝かしいキャリアの幕は閉じたが、自身が所有するクラシックカーでのレースは続ける意向だ。「自分で選択できる」範囲で、趣味としてのレースを楽しむという。
2009年ブラウンGP、F1史に残る奇跡の戴冠
creativeCommons Paul Williams
レースを終えてシルバーストン・サーキットの観客に手を振るブラウンGPのジェンソン・バトン、2009年6月1日F1イギリスGP
バトンのキャリアを象徴するのは、2009年にブラウンGPで掴んだワールドチャンピオンの栄光だ。F1史上最もドラマチックなストーリーとして語り継がれており、2023年にはキアヌ・リーブスを司会兼製作総指揮として、その劇的なドラマと舞台裏を描くドキュメンタリーも公開された。
2008年末、ホンダがF1からの撤退を表明し、バトンが所属するチームは消滅寸前の危機に直面した。だが、ロス・ブラウンは開発中のマシンの高い競争力を確信し、チーム存続のために奔走。最終的にチームを買収し、ブラウンGPとして再出発させた。
バトンは2009年、開幕7戦で6勝という圧倒的な強さを発揮した。以降は失速し、一度も勝てなかったが、ブラジルGPでの見事な追い上げでタイトルを確定させた。
下馬評を覆す奇跡の物語だった。
互角の争いを繰り広げたハミルトンとの3年間
Courtesy Of Red Bull Content Pool
予選3位のルイス・ハミルトン(マクラーレン)とポールシッターのセバスチャン・ベッテル(レッドブル・レーシング)、2位のジェンソン・バトン(マクラーレン)、2011年10月8日(土) F1日本GP予選(鈴鹿サーキット)
2010年、バトンはマクラーレンに移籍した。当時既にワールドチャンピオンに輝き、圧倒的な評価を得ていた、後の7度の王者ルイス・ハミルトンをチームメイトに迎えるという、勇気ある決断だった。
「タイトルを取った後、『さて次は?』って考えた。その答えがマクラーレンへの移籍だった。ルイス・ハミルトン――世界最高のひとりと戦う、それが次の挑戦だったんだ」とバトンは振り返る。
結果的に、3年間にわたるチームメイト期間において、獲得ポイントでバトンはハミルトンを上回った。総合的な速さでは劣ったとする評価もあるが、互角以上の勝負を繰り広げた。
バトンは特に、コンディションが変化する状況で真価を発揮した。路面グリップレベルのわずかな変化、そしてレース展開の動き――これらを瞬時に読み取る天性の感覚は、彼の最大の武器だった。
特に2011年カナダGPでは、F1史上最長となったレースで最後尾から首位へと驚異的な追い上げを見せ、優勝を飾った。伝説的な勝利だった。
日本と深い縁を持つ“ジェンソン・バトン”という存在
Courtesy Of Honda
B・A・R Hondaのジェンソン・バトンと佐藤琢磨とRA005E
バトンのF1キャリアは17年間に及んだ。ウィリアムズ、BAR、ブラウンGP、マクラーレンなどで活躍し、通算15勝を挙げた。
一方で日本のファンにとって、バトンはBARホンダ時代から特別な存在だった。道端ジェシカさんとの交際・結婚・離婚を含め、私生活も注目を集めたが、それ以上に、日本文化への深い親しみを示してきた。
自身のトライアスロンチームを「一番(ICHIBAN)」と名付け、「ガンバリマス!」と日本語で語り、英語を話す際にも日本人に対しては「さん」付けで呼ぶ――そんな礼節と親しみを併せ持つ姿は、多くのファンの心に深く刻まれている。
copyright jensonbutton_22
トライアスロン大会に参加するジェンソン・バトン
ホンダとの関係は、2009年のブラウンGP(実質的にはホンダが開発したマシン)でワールドチャンピオンを獲得したことで最高潮に達した。その後、2015年にはマクラーレン・ホンダのドライバーとして再びホンダとタッグを組み、厳しい時代を共に乗り越えていった。
さらに、F1引退後は日本のSUPER GTにも参戦。初のフルシーズンを迎えた2018年は、TEAM KUNIMITSUで山本尚貴と共にチャンピオンを獲得した。バトンにとっては、F1タイトルに匹敵する喜びだった。
「2018年――あの年は本当に特別だった。F1のワールドチャンピオンを獲るのは誰にとっても夢だけど、このタイトルを獲ったときの感情は、それに匹敵するものがあった」とバトンは振り返る。
「あのマシンをドライブするのは本当に楽しかったし、チームの雰囲気も最高だった。それに、ナオキさんは本当に素晴らしいドライバーだし、あのホンダ・チーム・クニミツで走れたのも特別だった。昔からテレビでスーパーGTを見ていたし、RAYBRIGカラーのホンダが大好きだったんだ」
「クニミツさん(高橋国光)は本当に素敵な人で、その彼にとっての初めてのチャンピオンをプレゼントできたのは、ものすごく特別なことだった」
バトンにとって日本は、キャリアを通じて深く結びついた地だった。
Courtesy Of Honda
TEAM KUNIMITSU総監督 高橋国光とジェンソン・バトンと山本尚貴
45歳、家族との時間を優先する決断。「後悔は全くない」という言葉には、充実したキャリアを全うした男の満足感がにじむ。
ありがとう、ジェンソン・バトン。あなたの穏やかな笑顔と美しい走りは、これからもファンの記憶に生き続ける。