キミ・ライコネン、天賦の才と傍若無人なキャラクター「20年早く生まれていたら8冠だったはず」
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2011年から2013年にかけてロータスのエンジン部門を率いていたリカルド・ペンテアードはこの程、ラテンアメリカ版motorsport.comとのインタビューの中でキミ・ライコネンについて語り、傍若無人なキャラクターに手を焼いた事を認める一方で、その天賦の才を高く評価した。
世界中のモータースポーツファンから愛されるフィンランド人ドライバーは、2007年にルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソを打ち破って世界の頂点に立ち、F1世界選手権の偉大な歴史にその名を刻んだ。ライコネンは70年を誇るF1の歴史の中で僅か33名しか存在しないチャンピオンの1人だ。
だが、生まれてきた時代が異なれば、ライコネンは33名の中でも特に別格の扱いを受けるレジェンドになっていたかもしれない。ラリーからのF1復帰後2年に渡って共に仕事をしたブラジル人エンジニアは、より原初的なF1マシンであればライコネンは更に多くの勝ち星を重ねていたはずだと主張する。
「もし20年早く生まれていたとしたら、ライコネンは8回タイトルを取っていた事だろう」とペンテアード。
「彼の速さはツールやインフォメーションとは殆ど関係ないからだ。彼は驚異的な空間認識能力を持っていた。あれは天性の才能だよ。クルマの前後バランスが悪くても、どうすればタイムを縮められるかを正確に知っていたんだ」
ペンテアードは生まれ持ったライコネンの才能を称賛する一方で、時に厄介な彼独特の個性についても説明した。
2009年末でF1を去ったライコネンは、シトロエン・ジュニアチームから世界ラリー選手権 (WRC) に参戦。2011年には「ICE 1 Racing」を設立してプライベーターとしてWRCを戦いながら、これと並行してNASCARにスポット参戦した。オーバルでの戦いに触れたライコネンは、タイムを競うのではなく他車とのバトルを求めて2012年にロータスでF1復帰を果たした。
2年のブランクを埋めるため、チームはプレシーズンテストに先立ってバレンシアでの2日間のプライベートテストを計画した。初日前日にマシンの説明を含めたブリーフィングを予定していたものの、肝心のライコネンが姿を見せたのはトラックテストの当日だった。ペンテアードのライコネンに対する第一印象が最悪であった事は言うまでもない。
復帰後初レースとなったオーストラリアGPでのエピソードも強烈だ。ライコネンはステアリングホイールにあるボタン類の役割が分からないままにグランプリに臨んだそうだ。当然ペンテアードは激怒した。ライコネンは愛車の技術的な事柄に一切興味がないのだという。
だがF1では結果が全て。ペンテアードはこの時のレースについて「キミは最終的に信じられないようなレースをして、18番手スタートの7位フィニッシュを果たした。ポイント獲得という形で自身を証明したんだ」と振り返った。
だがその一方で「でも僕が彼に慣れるのは簡単じゃなかった。何しろ彼は、僕の名前が”リコ”だと知るのに10レースを要したんだからね。最初の頃、キミはルノーのパワーユニットに何か問題が出ると僕のことを”おい、エンジン!”って呼んでいたよ」と付け加えた。
「あの異様な振る舞いを理解するのに幾らか時間が必要だったけど、彼はとても良い人だ。独特な性格ではあるけどね」