F1:ニキ・ラウダ死去から1年…1984年ポルトガルGPと1985年オランダGPを無料配信
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F1は、3度のF1ワールドチャンピオン、ニキ・ラウダの1周忌を偲び、1984年シーズンの第16戦としてエストリル・サーキットで開催されたポルトガルGP及び、ザントフォールトで開催された1985年の第11戦オランダGPを、5月20日(水)協定世界時18時、日本時間27時から公式サイトやFacebook、YouTubeチャンネルを通して無料でストリーミング配信する。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の影響でレースの開催中止を強いられる中、F1はモータースポーツファンに向けて70年の歴史の中でも特に名勝負と高く評価されるレースを無料配信している。今回はラウダ死去から満1年の命日となる5月20日に、オーストリアの伝説的ドライバーが遺したF1ベストレースの内の2戦を取り上げる。
ラウダはポールポジション24回、優勝25回を誇る3度の王者として、F1レジェンドの地位を確立した。ニュルブルクリンクで開催された1979年ドイツGPでの大事故によって生死をさまよいながらも不死鳥の如く目を覚まし、その後も偉大な歴史を紡ぎ続けた。現役引退後はメルセデスの非常勤会長としてルイス・ハミルトンをチームに引き入れるなど重要な役割を果たし、その名声を更に強固なものとした。
フェラーリで2度のタイトルを獲得し現役生活から退いたラウダは、1982年にマクラーレンからF1に復帰。英国ウォーキングでの3シーズン目となった1984年には、新たにルノーから移籍してきたアラン・プロストをチームメイトとして迎え、シーズンを通してチャンピオン争いを演じた。
35歳となったラウダとプロストとのチャンピオン争いは最終ポルトガルGPにまでもつれ込んだ。プロストがネルソン・ピケ(ブラバムBMW)と共にフロントロー2番グリッドに並んだ一方、ラウダは11番手と中盤に沈んだ。ラウダが3冠目を手にするためには2位以上が条件だった。
ラウダはオープニングラップで更に順位を下げて13番手にまで後退するも、この年のベストマシンのパフォーマンスを遺憾なく発揮。スリップストリームを駆使して徐々にポジションを挽回していった。2番手を走行していたナイジェル・マンセル(ロータス・ルノー)がブレーキトラブルに見舞われた事で、最終的にプロストに次ぐ2位でフィニッシュし、僅か0.5ポイント差で3度目のタイトルを獲得した。
ラウダは後にF1 TVの「Greatest Races」シリーズのインタビューの中で「僕にとってレース全体が大きな戦いだった。クルマを壊さないようにしながら、限界ギリギリのところでドライブし続けた。あれは僕にとって最悪のレースのひとつだった」と回顧している。
F1での現役最終シーズンとなった1985年のF1オランダGP。ラウダはキャリア最後の勝利をエストリルで挙げる事となった。プロストの3番グリッドに対してラウダは10番グリッドと劣勢であったが、これ以上ない素晴らしいスタートを切って1周目を5番手で終えた。
21周目にケケ・ロズベルグ(ウィリアムズ・ホンダ)がエンジントラブルでリタイヤすると、プロストが一時的にラップリーダーに浮上するが、ラウダはアンダーカット戦略によって34周目にプロストを交わしてポジションを逆転した。プロストはその後、アイルトン・セナ(ロータス・ルノー)を抜き去りラウダに追いつくも、ラウダが”小柄なフランス人”に当季初勝利を与えることはなかった。
ラウダはこの勝利によって、ジム・クラークが持つキャリア25勝の記録に達したが、これがF1でのラストウィンとなった。この年は完走僅か3レースに終わり、ランキング10位と低迷。キャリアに終止符を打った。