モンツァでの角田裕毅を超える連続DNF、同一サーキットに嫌われ続けたF1ドライバー達

パドックでメディア対応をする角田裕毅(RBフォーミュラ1)、2024年8月29日(木) F1イタリアGPプレビュー(モンツァ・サーキット)Courtesy Of Red Bull Content Pool

世界で3番目に古い歴史を持つ伝統のモンツァ・サーキットはこれまで、角田裕毅(RBフォーミュラ1)にとって鬼門であり続けてきた。そして、4回目の挑戦となった2024年も例外ではなかった。

デビューイヤーの2021年はブレーキトラブルでレースをスタートできず、2022年は完走こそしたものの、累積の戒告処分に加え、黄旗無視とパワーユニット交換により最後尾からのスタートで14位に終わった。そして2023年は再び開始を前にレースが終りを迎えた。パワーユニットにトラブルが発生したのが原因だった。

そして2024年のF1イタリアGPでは、1周目に2つポジションを上げて14番手に浮上するも、4周目のターン1でニコ・ヒュルケンベルグ(ハース)に追突され、フロアに酷い損傷を受けたことからリタイヤを余儀なくされた。

レース翌日に角田裕毅は「いつかはモンツァも僕を愛してくれるでしょう」とのコメントを添えて、Instagramに画像を投稿した。

ただ、同じサーキットに嫌われ続けたドライバーの例は決して珍しくない。ジャン・アレジは1991年から5年連続でスパ・フランコルシャン(F1ベルギーGP)でのレースをリタイヤで終えた。

ナイジェル・マンセルは鈴鹿とめっぽう相性が悪かった。初めて鈴鹿で日本GPが行われた1987年は予選でクラッシュを喫して負傷したためDNSとなり、以降はワールドチャンピオンに輝いた1992年まで5年連続でリタイヤした。完走したのは鈴鹿ラストランとなった1994年(4位)の1回だけだった。

また、ルーベンス・バリチェロは信じ難いほど、母国ブラジルのインテルラゴスに嫌われ続けた。デビューした1993年からの最初の11年間で完走したのは、4位フィニッシュした1994年のみで、他の10回はリタイヤに終わった。

Courtesy Of Pirelli & C. S.p.A.

接触するニコ・ヒュルケンベルグ(ハース)と角田裕毅(RBフォーミュラ1)、その前を走行するエステバン・オコン(アルピーヌ)、2024年9月1日(日) F1イタリアGP(モンツァ・サーキット)

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