親同士の確執…フェルスタッペンのレッドブルF1昇格の背景を明かすヘルムート・マルコ
Published: Updated:
レッドブル・レーシングのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコによると、マックス・フェルスタッペンのレッドブル昇格の背景にはドライバーの親同士による確執があった。
カートでの数々のタイトルを経てフェルスタッペンは2014年の日本GPのフリー走行にスクーデリア・トロロッソから参加。初めてF1マシンをドライブした。本格的なシングルシーターデビューを果たしたヨーロッパF3選手権での8戦を消化したばかりの16歳の秋のことだった。
その翌年に、同じく2世ドライバーのカルロス・サインツと共に、17歳165日という史上最年少出走記録と共にF1デビューを果たすと、2016年のスペインGPでダニール・クビアトに代わってシニアチームに昇格した。
キャリア23戦を戦ったばかりの新人がシーズン途中でトップチームに抜擢された理由の一つはクビアトの不振だった。
クビアトについてヘルムート・マルコはAuto Motor und Sportとのインタビューの中で「レッドブルでの1年目を過ごしていた2015年は(チームメイトの)リカルドよりも速かった」としながらも、2年目のシーズンは序盤から数々の不安要素に見舞われていたと回顧した。
クビアトはプレシーズンテスト初日からRB11のブレーキに不安を抱えて速さを失い、第3戦中国GPではセバスチャン・ベッテルと接触事故を起こし激しい口論を展開した。
ただ、理由はそれだけではなかった。トップドライバーとしての経験を持つフェルスタッペンとサインツの父親同士による確執があったのだ。
「我々は当時、サインツとフェルスタッペンを同時に抱えていた。トロロッソ内における関係は健全なものではなかった」とヘルムート・マルコは説明した。
「一方には抜け目なく政治的なカルロス・サインツSr.が、そして他方には感情的な三枚舌のヨス・フェルスタッペンがいた」
「時に本当に熱くなることもあったが、マックスの昇進によってそれを一挙に解消した。もちろん、サインツSr.は死ぬほど気分を害し、もはや理を理解できない状態だった」
「外見上は常に調和がとれていたように見えても、内部的にはしばしば厳しい対応を取らなければならない状況だったんだ」
愛する息子の成功を誰よりも願う父親同士による内部騒動解消の一環としてレッドブルに引き上げられたフェルスタッペンは、その初陣となったスペインGPで史上最年少優勝記録(18歳227日)を塗り替え、その後31勝を挙げると共に、2度のF1ワールドチャンピオンを勝ち取った。