紆余曲折…F1ポイントシステムの変遷:得点共有時代からスプリント予選新時代まで

フェラーリのミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロと共に2004年F1アメリカGPの表彰台に上がったBARホンダの佐藤琢磨Courtesy Of Indycar / Dan Helrigel

スプリント予選レースの導入により、2021年のF1イギリスGPでは最大で29ポイントもの大量得点が可能となった。これは71年に渡るF1の歴史の中で単一イベントで獲得できるポイント数としては2014年の最終戦を除いて最も大きい。

F1では世界選手権化された1950年にドライバーズチャンピオンシップが、そして8年後の1958年にコンストラクターズチャンピオンシップが制定され、各々のタイトルを決するための仕組みとしてポイントシステムが採用されているが、これはこれまでに10度に渡って変更されてきた。

創世記を経て30年近く安定していたF1のポイントシステムは、有効ポイント制を廃止して優勝者の得点を9点から10点へと引き上げた1991年を機に、10年おき程度に止めどなく変更され続けている。

F1世界選手権のポイント配分の歴史
シーズン 決勝レース スプリント
1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位 FL 1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1950-1959 8 6 4 3 2 1
1960 8 6 4 3 2 1
1961-1990 9*1 6 4 3 2 1
1991-2002 10 6 4 3 2 1
2003-2009 10 8 6 5 4 3 2 1
2010-2018*2 25 18 15 12 10 8 6 4 2 1
2019-2020 25 18 15 12 10 8 6 4 2 1 1
2021 25 18 15 12 10 8 6 4 2 1 1 3 2 1
2022 25 18 15 12 10 8 6 4 2 1 1 8 7 6 5 4 3 2 1

*11961年に限りドライバーズポイント9点に対して、コンストラクターズポイントは8点だった。
*22014年は最終戦のみポイントが2倍。

以下にこれまでの71年の歴史を駆け足で振り返ってみたい。

1950-1959年:トップ5のみが入賞

入賞対象 1位~5位
ポイント配分 8-6-4-3-2

世界選手権初レースを迎えた1950年シーズンは、現在の半分にあたる上位5位のみがポイントを獲得できるシステムだった。

初のF1ワールドチャンピオンに輝いたジュゼッペ・ファリーナはシルバーストンで21台が競い合った記念すべき開幕戦でポール・トゥ・ウインを果たして8点、更には1分50秒6のファステストラップを刻んで1点を追加。満額の9点を手にした。2位から5位までのポイントは6-4-3-2で、この配分は2002年まで変わる事はなかった。

Courtesy Of STELLANTIS

1950年5月13日、シルバーストン・サーキットでのF1イギリスGPでアルファロメオ158を駆り初代ウィナーに輝いたジュゼッペ・ファリーナ

Courtesy Of STELLANTIS

1950年5月13日、優勝したジュゼッペ・ファリーナ

なお昔のマシンは今とは比べ物にならない位に信頼性が低く、ドライバーの責によらないリタイヤは日常茶飯事だった。

こうした状況下では、チャンピオンシップの成績を弾き出す際にシーズン全戦の成績を合算してしまうとドライバーの腕が評価しにくいとの理由で、当該年における上位成績数戦(その年により幾つの数のレースを対象とするかは異なる)を合算する形を取っていた。いわゆる有効ポイント制というシステムだ。

例えば1950年シーズンは全7戦が行われたが、チャンピオンシップで合算されたのはドライバー毎の好成績上位4つのレース結果のみだった。

ポイント共有

当時はコンマ1秒単位までしか計測できず、同タイムでファステストラップを記録する者が複数いた場合、ポイントを等分する形を取っていた。

1954年のF1イギリスGPでは7人がファステストラップを記録したため、各々に7分の1ポイントが与えられた。ジャン・ベーラはこの際の0.14ポイントによってランキング入りを果たし、26位でシーズンを終えた。

また1957年まではレース中にマシンを共有する事が認められていた。入賞した場合はポイントも共有された。

1955年のアルゼンチンGPはあまりの暑さ故にドライバー交代するマシンが多発。灼熱の3時間を一人で走りきった入賞者は優勝したファン・マヌエル・ファンジオと5位のロベルト・エミレスのみで、ポイント集計は混沌を極めたという。

1960-1990年:安定のトップ6入賞

入賞対象 1位~6位
ポイント配分 9-6-4-3-2-1

ファステストラップポイントの廃止と共に1960年に入賞者は上位6名へと拡大され、翌61年には優勝者のポイントが9点(コンストラクターポイントは8点)に増やされ「9-6-4-3-2-1」というシステムが30年間に渡って使われ続けた。

1991-2002年:優勝者の評価が向上

入賞対象 1位~6位
ポイント配分 10-6-4-3-2-1

1991年にウィナーに与えられるポイントが9点から10点へと増額された。初年度の1950年と比較するとトップチェッカーの価値は1.25倍に増加した。

10点制の初戦となったフェニックスでの1991年開幕アメリカGPではアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)がポール・トゥ・ウインを飾り、10ポイントを獲得した初のドライバーとなった。

またこの年より、40年間に渡って続いた有効ポイント制が廃止された。

クルマの信頼性は年々向上し、有効ポイント制の存在意義は薄れ、特にシーズン終盤はチャンピオンシップの並びを計算する上で混乱も多く、更には不公平感も増していた。

例えば有名なのは1988年のアラン・プロスト対アイルトン・セナだ。全16戦中、上位11戦のポイントが有効とされたこの年は、結果としてセナが王座を手にしたものの、昨今と同じ様に全戦のポイントが有効であった場合、チャンピオンに輝いていたのはプロストの方だった。

Courtesy Of Honda Motor Co., Ltd

アイルトン・セナが駆った1988年のマクラーレン・ホンダF1マシン「MP4/4」をドライブするブルーノ・セナ

2003-2009年:フェラーリ帝国への対抗

入賞対象 1位~8位
ポイント配分 10-8-6-5-4-3-2-1

フェラーリとミハエル・シューマッハが支配的な強さでダブルチャンピオンを獲得した2002年の結果を受け、FIAは2003年に向けてレギュレーションと合わせてポイントシステムを変更した。

何しろシューマッハは史上最も早い7月21日に3冠目を決め、更にチームとしても17戦15勝と、他10チームの合算ポイントと同じ221点を単独で稼ぎ出したのだ。

新たなポイントは優勝者の価値を10と据え置きつつも、入賞をトップ8に拡大。相対的にウィナーの価値を下げるものであった。

結果的に新制度導入の2003年はフェラーリ&シューマッハが再び栄冠に輝いたものの、キミ・ライコネンとのタイトル争いは最終戦にまでもつれ込んだ。

Courtesy Of Ferrari S.p.A.

フェラーリF2002を駆るミハエル・シューマッハ、インディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催された2002年のF1アメリカGPにて

2010年~:現行の10位入賞制

入賞対象 1位~10位
ポイント配分 25-18-15-12-10-8-6-4-2-1

参戦予定台数が前年の20台から26台までに増加したことを受け、ポイント付与の対象車両が8台から10台へと増やされ、各順位のポイント配分も大幅に改訂された。

2003年以降、1位は2位の1.25倍の価値付けがなされてきたが、これが1.4倍にまで引き上げられた。

Courtesy Of Ferrari S.p.A.

表彰台の上で感極まったフェルナンド・アロンソ(フェラーリ)とミハエル・シューマッハ(メルセデス)、2012年ヨーロッパGPにて

2014年:混迷のダブルポイント・フィナーレ

チャンピオンシップ争いを確実に最終戦にまで引っ張るため、FIAは2014年シーズンの最終アブダビGPでの獲得ポイントを通常の倍とした。

ただニコ・ロズベルグとルイス・ハミルトンの争いは最後までもつれたため、結果的にはダブルポイントである必要はなかった。

多くの批判に晒されたこのルールは僅か1年で廃止され、ハミルトンは史上唯一、1回の優勝で50ポイントを稼いだドライバーとなっている。

2019年~:ファステストラップポイントの復活

ルール廃止から約60年を経て、ファステストラップによるボーナスポイントが再び導入された。タイヤや燃料、エンジンなど、近代F1ではマネジメント仕事が必須で、ファステストラップを出すのは決して簡単ではない。

2021年:スプリント予選の導入

決勝のスターティンググリッドを短距離走で決めるスプリント予選がシーズン3回という限定で試験導入された。優勝者から3位までにはそれぞれ3点、2点、1点が与えられる。1イベントで獲得可能な理論上の最大ポイントは29点に達した。

翌年はスプリントの価値を固めるべくポイント配分が拡大され、優勝者から8位までに8点、7点、6点…1点が与えられる事となった。

F1イギリスGP特集

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