ダンの日記:リカルドが考える過小評価されている5人のF1ドライバー

ヘルメットを手に持ちスタジオ撮影に臨むルノーのダニエル・リカルド、2020年F1オーストラリアGPにてCourtesy Of RENAULT SPORT

ある者は実戦の代わりにシムレースに没頭し、ある者は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的危機のために一肌脱いでチャリティーに協力する。グランプリ中止を受けてF1ドライバー達は各々様々な形で日々を過ごしているが、ルノーのダニエル・リカルドは日記を書くことを選んだ。

「やあみんな、無事に過ごしてると良いんだけど」母国オーストラリア・パースにある家族所有の農場で自己隔離中のリカルドは、4月15日(水)に自身のソーシャルメディアアカウントを通して、こう呼びかけた。

「2020年はこれまでとは少し変わった試みをしようと思ってるんだ。日記をシェアしてみる事にした 。レースについての心の内の思いや考え、F1以外の生活についての事、リストや音楽、他のスポーツについても少しだけ」

「これが第一回目の日記。月イチの更新が目標だ」

“ダンの日記”と題された記念すべき最初のダイアリーのテーマは「過小評価されている5人のライバルドライバー」。リカルドは、実力が正当に評価されていないライバルたちの名前を挙げる事にした。以下、紹介したい。

ダンの日記:過小評価されている5人

レースがない…ああ、ホント最悪だ。レースといえば…最近、F1デビューした2011年からこれまでの間に62人のドライバーと対戦してきたって聞かされたんだ。僕は全員の名前を挙げられるだろうか?

その中には忘れていた名前も幾つかあった。僕はこれまでにF1で171レースに出てるんだけど、その全てで同じグリッドについた3人のドライバーの名前を挙げてみようか?

ルイス(ハミルトン)とセブ(ベッテル)はすぐに思いついた。それから少し考えて、もうひとりの名前がセルジオ・ペレスだと思い出した。

他にも考えてみる。これまでのキャリアの中で最大のライバルは誰だろう?たぶんこれは統計を見れば分かるだろうね。じゃあ、最も過小評価されているドライバーは?

F1のグリッドを共にした中で、最も正当に評価されていないのは誰だろうか? うーん…まぁ意見というのは人それぞれだけど、外野の評価よりも僕の評価の方が高いと思う人達を順不同で5人紹介しよう。

マーカス・エリクソン


© Sauber Motorsport AG

マーカスは何時だってシッカリ速かった。2009年のマカオF3の時に僕らは一緒にレースをしたんだけど、彼はポールポジションを獲ったんだ…サンデードライバーがあそこでポールを獲得する事なんて絶対に出来ない。その年のグリッドついた6人は、その後F1まで進んでいった。

ジュニア時代のマーカスは非常に高い評価を受けていたけど、F1に行った後もその評価が続いたかと言えばそうは感じられなかった。確実に速さがあったのにね。

アルファロメオでの2018年シーズンに、シャルル(ルクレール)との対戦でそれを垣間見る事ができたけど、シーズンが進むにつれてシャルルはルーキーとして明らかに成長していたし、それ以来彼は絶対的なトップレベルのドライバーだという事を証明してきた。

ただ、マーカスのスピードは少し過小評価されているような気がしたね。

ジュール・ビアンキ


© Ferrari S.p.A.

ジュールに関しては過小評価されていたわけではないけど、最高峰レベルのマシンで走る事はなかったから、世間が彼の優秀さを正当に評価していかどうかは分からない。

マルシャから出走した2014年のモナコGPでの彼の走りを思い浮かべてみて欲しい。モナコはマカオと同じ様に、結果を誤魔化す事などできないコースだ。実力なしには絶対に結果を残せない。

ジュールとはカート競技を通じてジュニアの頃に知り合った。イタリア・ヴィアレッジョのフォーミュラ・メディスンでトレーニングをしていた時に出会ったんだ。当時の僕らは17歳だったにも関わらず、誰もが彼をF1ドライバーのように扱っていた。

こうして僕らは友達になった。彼がどんな人物で、僕がヨーロッパに来る前に彼がどんな事を成し遂げてきたのかについてはすぐに分かった。(生きてさえいれば)彼はトップチームに籍を置き、優勝ドライバーの一人であったはずだ。確実にね。彼の物語が凄く悲しいもう一つの理由がこれさ。

シャルル(ルクレール)は今、ジュールが成し遂げていたであろう事を辿っているんだろうと僕は感じてる。

ヴィタントニオ・リウッツィ


© Getty Images / Red Bull Content Pool

僕のF1での最初のチームメイトだ! 多くの人が言及しているように、彼は地球上で最高のカートドライバーの一人だった。ゴーカート時代、リウッツィはオーストラリアのカート雑誌の広告にも抜擢されるほどだった…当時のカート界のシューマッハのような存在だったんだ。

その後、彼はF1にステップアップした。当時と比べて明らかに腕を上げていたけど、F1では上手くいかなかった。でも彼は速かったよ。彼のチームメイトとしてHRTに行った僕は、目が覚めるほどびっくりした。

その頃は彼のF1でのキャリアも終盤に差し掛かっていたし、今となっては、あの時の僕は彼を過小評価していたかもって認めるけど、僕が彼の純粋なスピードに不意を突かれたのは確かだ。レースペースに関しては残念に思ったけど、1ラップでマシンを限界までプッシュする彼の能力に僕が警戒したことは紛れもない事実だ。

F1での最初の年、2011年のブダペストのことを思い出すよ。完璧に予選のラップをまとめられたと思っていたのに、彼は更にその上を行ったんだ。ついつい言い訳したよ「問題ない。彼が速すぎるだけだ」ってね。純粋なスピードで言えば、彼は100%だった。

ロベルト・メリ


CaterhamF1

5人の中にマルシャのドライバーが2人も入るなんて予想だにしなかったでしょ! メリがF1に参戦したのは2015年の1年だけだったけど、僕が初めてヨーロッパに移った2007年、僕らはイタリアのフォーミュラ・ルノーで出会った。そのシーズンの僕らのマシンは最高とは言えなくてね。僕らはルーキーの中でも特に目立っていた。僕は彼の事をすぐに意識したよ。

翌年に僕らはユーロカップに参戦した(バルテリ・ボッタスも一緒にね)。でも僕の中ではやっぱりメリが最大の脅威だと思っていた。彼はマックス(フェルスタッペン)に似ていて、卓越したマシンコントロールの技術とスピードを持ちつつ、リスクを取る事への恐怖感が欠けているヤツだった。

思うに(F1で成功しなかったのはF1での)タイヤマネジメントが重要な意味を持っていたからだと思う。彼のスタイルがフォーミュラ・ルノーに適していたのは、このシリーズのマシンが常にオーバーステアでルーズでスピードのあるクルマだったからだ。タイヤは常に限界ギリギリかつ超敏感で、より不安定だった。

このアプローチ方法が(メリがF1で)うまく行かなかった理由なんだと思う。

ジェンソン・バトン


© HONDA

F1ワールドチャンピオンが過小評価されているのかだって? いや、聞いて欲しい。ジェンソンはF1で何度かビッグシーズンを過ごした。2011年はマクラーレンでルイス(ハミルトン)をチームメイトとし、正々堂々と彼を打ち負かしてみせた。これが如何に難しい事であるかは誰もが知っている。これがジェンソンが僕のリストに入った理由だ。

鈴鹿みたいな”本物”のサーキットでもルイスを打ち負かしたし、その年のレースペースも凄かった。彼がレーシングドライバーとしてベストだったのは2011年だと思う。

ジェンソンは他の多くのドライバーたちとは少し違っていた。彼の周りには良いクルーがいたし、彼自身は控えめで人当たりが良く気軽に付き合える人で、洗練されたドライバーだった。

ウェットともドライとも言えないような漠然としたコンディションでの彼は、今もなお僕がこれまでに見てきた中で最高のドライバーだ。僕がF1でのキャリアをスタートさせる2レース前の2011年のカナダでの勝利は、過去最高のF1レースのひとつだと思ってる。


称賛に値する他のドライバーとしては、僕はロバート・クビサを挙げる。彼と一緒にレースをしたのは昨年の1年だけだけど、彼は”昔のクビサ”ではなかったし、最後尾のウィリアムズに乗っていた。

彼の凄さを理解していない新しい世代のファンもいるだろうね。僕がF1に入ってきた時、マーク・ウェバーやフェルナンド・アロンソが僕に彼が如何に素晴らしいかを語ってくれた事を思い出すよ。彼ら程のドライバーが、ミラーに映ったのが彼だと分かると「くそ、なんてこった!後ろはクビサか」って思うような存在だったんだ。

もう一人はポール・ディ・レスタだ。彼はこのスポーツの内外を行ったり来たりするキャリアを過ごしていたけど、F1では常に堅実だった。常に強豪チームとの契約を掴みかけていたけど、それが現実になる事はなかった。でもジェンソンと同じように非常に計算高く、そのステアリングは本当に正確だった。

最も過大評価されているドライバー5人のリストだって? リストには1人だけ名前が載ってるど、引退するまでは自分の胸にしまっておくよ…

それじゃ!ダニエルより

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