ジル・ド・フェラン、56歳で死去…2003年インディ500優勝 ホンダF1でも活躍

インディアナポリス500マイルレースで優勝したジル・ド・フェラン、2003年5月25日Courtesy Of Penske Entertainment

2003年のインディアナポリス500マイルレース優勝者のジル・ド・フェラン(Gil de Ferran)が米国現地2023年12月29日(金)、フロリダの自宅近くで急死した。56歳だった。

報道によるとド・フェランはフロリダ州に位置するサーキット、コンコース・クラブで息子ルークと共にレースをした後、体調が悪いと訴えたという。ブラジルモータースポーツ連盟の発表によると心臓発作に見舞われた。

フランス・パリ出身のブラジル人ドライバーは20年前のインディ500で、チーム・ペンスキーのチームメイトで同じブラジル人のエリオ・カストロネベスを170周目に抜き去り、0.2990秒差で優勝を飾った。

そしてその年のシーズン最終戦、テキサス・モーター・スピードウェイでも優勝を飾り、これを以てキャリアに終止符を打った。インディカー・シリーズでは12勝、ポールポジション21回という成績を残した。1995年にはCARTルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

現役引退後の2005年にはスポーティング・ディレクターとしてBARホンダF1チームに加入。ホンダワークスでも同職を務め、2007年にチームを去った。

翌年には自身のチーム、ド・フェラン・モータースポーツのオーナードライバーとしてアメリカン・ル・マン・シリーズに参戦。アキュラLMP2プロトタイプのステアリングを握り、2009年にはLMP1プロトタイプクラスで最多5勝を挙げランキング2位を獲得した。

2018年7月にはF1に参戦するマクラーレン・レーシングのスポーツ・ディレクターに就任。翌年、インディ500にスポット参戦したフェルナンド・アロンソをサポートしたが、予選敗退に終わった。2021年初めにチームを去ったが、2023年5月にはコンサルタント兼アドバイザーとしてマクラーレンに再雇用された。

Courtesy Of Indycar

予選後記者会見に臨んだマクラーレンのジル・ド・フェランとフェルナンド・アロンソ、2019年インディ500

米国でのキャリア以前にはイギリスで活躍した。1991年のイギリスF3選手権では、後のF1ウィナー、ルーベンス・バリチェロとデビッド・クルサードに次ぐ3位を獲得。翌92年にはポール・スチュワート・レーシングから参戦し、7勝を挙げてタイトルを獲得した。

ド・フェランにはポール・スチュワート・レーシング時代に知り合った妻のアンジェラ、娘のアンナ、息子のルークがいる。

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