レッドブル・レーシングのチーム代表を務めるクリスチャン・ホーナー、2014年オーストリア・ザルツブルクのハンガー7にて
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クリスチャン・ホーナー

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人物データ

名前 クリスチャン・ホーナー / Christian Horner
国籍 イギリス
出身地 レミントンスパ
生年月日 1973年11月16日 / 50歳

クリスチャン・ホーナーイギリス・レミントンスパ出身の元レーシングドライバー。レッドブルF1チームの代表兼CEOであり、レッドブル・テクノロジー・リミテッド社とレッドブル・レーシング社の役員を務める。

2005年、31歳の時にレッドブル・レーシングのチーム代表に就任し(史上最年少F1チーム代表記録)、2010年から2013年に渡ってミルトンキーンズのチームを4年連続F1ダブルタイトルに導いた。

14年付き添ったビバリー・アレンと別れ、2015年に元スパイス・ガールズのジェリ・ハリウェルと結婚。ホーナーにはアレンとの間に娘(2013年10月誕生)が、ハリウェルにも元夫サーシャ・ガヴァシとの間に娘ブルーベル・マドンナがいる。

2017年1月には妻ハリウェルとの間に新しく息子モンタギューを授かり、英国オックスフォードシャー州バンベリーからほど近い広大な農場に住まいを設け暮らしている。敷地内には湖やテニスコートまである。愛機はホンダ「HRC536」

レッドブル・レーシング代表クリスチャン・ホーナーと妻のジェリ・ハリウェル、2015年オーストリアGPにて
© Getty Images / Red Bull Content Pool、クリスチャン・ホーナーと妻のジェリ・ハリウェル、2015年オーストリアGPにて

生まれと幼少期

コベントリーのスタンダード・モーター・カンパニーで購買部長をしていた祖父が代理店業を起業。ホーナーの父もこれに加わり、ビジネスとして大成功を収めた。幼少の頃ホーナーはレミントン・スパの学校に通い、ゲイドンからほど近い田舎町ビショップス・イッチントンに住んでいた。ジェイミーとガイという二人の兄弟がいる。

一家揃って車好きで、父はリライアント・シミター、トライアンフ・スタッグ、ジャガーXJSを所有。母はトライアンフ・ヘラルドやアルパインのスポーツカーに乗っていたと回想している。

主なキャリア

11歳の時に地元新聞に掲載されていた60ポンドのカートを買ってもらったのがキャリアのスタート。1991年にフォーミュラ・ルノーのスカラシップを獲得し、イギリスのフォーミュラ2とフォーミュラ3で成功を収めた。1996年にはTOM’Sに在籍していた事もある。

1997年に父から借金をしてアーデンチームを設立。オーナードライバーとしてF3000を戦った。その後アーデンはフィールドを広げ、FIA-F2選手権やGP3など欧州の幅広いシリーズで活躍している。この時レース機材とマシンの運搬用として、レッドブル・ジュニアを率いていたヘルムート・マルコから中古トレーラーを購入。後に二人はレッドブル・レーシングを率いる双頭となる。

引退は早かった。ポルトガルのエストリルで行われたプレシーズンレースの際、ファン・パブロ・モントーヤと大事故寸前のバトルに。その時の様子を振り返ったクリスチャン・ホーナーは「このままではいけないと思ったんだ。その時、自分のチーム運営に集中しようと決めた」と、引退の理由を説明している。

1998年末、25歳で現役を退いたホーナーは31歳の時にレッドブルに移籍。最年少F1チーム代表となった。それまでレッドブルはアーデンのスポンサーを務めていた。

1992年
英国フォーミュラ・ルノー選手権に参戦
1994年
イギリスF3に参戦
1996年
イギリスF3にトムスから参戦。イギリスF2にも挑戦
1997年
アーデン・インターナショナルを設立してF3000に転向
2004年
アーデンがF3000でヴィタントニオ・リウッツィと共にダブルタイトルを獲得
2005年
新設のレッドブル・レーシングのチーム代表に就任
2013年
大英帝国勲章第4位(OBE)を授与

トレードマークは貧乏ゆすり

ライバルチームとの接戦の際など、エキサイティングな場面で貧乏ゆすり中のクリスチャン・ホーナーの画が国際映像によく映し出される。ライバルからすれば、心情状態がダダ漏れであるため、手の内を曝け出すようなものではないかと心配になる。