エイドリアン・ニューウェイ
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エイドリアン・ニューウェイ

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人物データ

名前 エイドリアン・ニューウェイ / Adrian Newey
国籍 イギリス
出身地 ウォリックシャー
生年月日 1958年12月26日 / 65歳

エイドリアン・ニューウェイ(Adrian Newey OBE)は、1958年12月26日生まれのイギリス出身レーシングカー・デザイナー。現在、レッドブル・レーシングのチーフ・テクニカル・オフィサー(CTO)を務めている。

空力の鬼才として知られ、手がけたマシンはウィリアムズ、マクラーレン、レッドブルの3チームにおいてグランプリ優勝100回以上を誇り、10度のコンストラクターズタイトル獲得に貢献。10名のF1ワールドチャンピオンを誕生させたF1界を代表する屈指のデザイナーの一人であり第一人者。

16歳で学校を退学になった(コンサート会場でのサウンドチェックをハイジャックして、ステンドグラスの窓を吹き飛ばした事が原因)にも関わらず、歴史上最も偉大なF1デザイナーと称されるようになった。年間約700万ポンド(日本円にして約9億円)を稼いでいるとされる。2012年には大英帝国四等勲爵士(OBE)を叙勲した。

エイドリアン・ニューウェイ、2018年F1モナコGPにて
© Getty Images / Red Bull Content Pool、エイドリアン・ニューウェイ、2018年F1モナコGPにて

空力の専門家でありレーサー

2010年にジネッタG50カップでクラッシュし、病院に搬送されたことは記憶に新しいが、ニューウェイはデザイナーであるとともにレーサーでもある。

2007年にはAFコルセからル・マン24時間レースに参戦。フェラーリF430 GT2を駆りクラス4位を獲得した。

2012年のグッドウッド・リヴァイヴァルでは自身がデザインした2台のマシン、1990年のレイトンハウス「CG901」と、セバスチャン・ベッテルが初のタイトルを獲得した際のレッドブル「RB6」のステアリングを握った。

2021年にレッドブル・ホンダに移籍したセルジオ・ペレスは「彼と話しているとまるでレーシングドライバーと話しているような気分になる」と語っている。

マシンデザインにはB2鉛筆を使う

ニューウェイはマシンを設計するときCAD(コンピュータ支援設計)システムをつかわない。PCを使わないのだ。ディフューザやサスペンションのレイアウトをスケッチする時、必ず2Bの鉛筆と製図板を使ってデザインする。

主なキャリア

サウサンプトン大学で航空学を学び、1981年からの9年間をマーチ(その後のレイトン・ハウス)で働き、1990年にパトリック・ヘッドがウィリアムズに勧誘したことでF1の世界へと足を踏み入れた。マーチでは、ニューウェイが手掛けたスポーツカーが1983年と1984年にIMSAのGTPクラスで優勝。インディカー・プロジェクトの「マーチ85C」は、選手権とインディ500の両方を制した。

1990-1996年 ウィリアムズ: 優勝53回

豊富な予算、最高のドライバーのおかげで圧倒的な勝利数を積み重ねた。パトリック・ヘッドと協力し、1991年から1997年の間にコンストラクターズタイトルを5度獲得。ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、デイモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブにドライバーズタイトルをもたらした。

悲しい出来事もあった。1994年にアイルトン・セナが事故死。ニューウェイは事故について「設計の過失がセナの死につながったと感じていたら、仕事に戻るのがとても難しかっただろう。でもわたしはそれが原因だったとは思っていない」と回顧している。

1997年-2005年 マクラーレン: 優勝44回

ミカ・ハッキネンが1998年と1999年のドライバーズ・タイトル獲得。ところがフェラーリとミハエル・シューマッハの黄金時代の到来により、マクラーレンは停滞する。これを機にニューウェイは、新たなる挑戦と報酬に誘われてレッドブルに移籍した。

「ウィリアムズとマクラーレンに移籍した時、彼らは既に優勝経験を持つチームであったが、設計及びエンジニアリングの点で多少路頭に迷っていた。そこでの私の仕事は設計が主体だった。だからこそレッドブルへの移籍を決断したのだ。レッドブルは先の2チームとは全く異なり、ゼロからの出発だった。チームの発展と成長に手を貸したかったのだ」

2006年-2019年末現在 レッドブル: 優勝62回

レッドブル移籍後に最初に手掛けたRB3とRB4は、先代マシンと比べて着実に進歩を遂げたが、ニューウェイの功績はマシンデザインより人材登用にあった。当時レッドブルは、優勝争いを目指して投資を重ね、施設の拡大と人材のリクルーティングに力を入れていた。新興チームに才能溢れる人々が集まった背景に、ニューウェイの名があった事は明らかだった。

2009年は重大な分岐点となった。空力関連のレギュレーションが大きく変更された事で、デザイナーの腕が試される事となった。ニューウェイはこのチャンスを掴んだ。RB5は優勝6回とコンストラクターズ選手権2位をもたらした。

優れたプラットフォームを作り上げた事で、翌年のRB6は9勝を挙げてチーム初となるコンストラクターズタイトルを獲得。セバスチャン・ベッテルに初のドライバーズタイトルを授ける事となった。この勢いは留まる事なく、レッドブルは2011年、2012年、2013年と続くダブル・チャンピオンシップ制覇を達成した。

ハイブリッド・ターボが導入された2014年末、ニューウェイはF1での業務から一歩退き、Red Bull Advanced Technologiesの責任者に就任。ヨットレースのアメリカスカップや、アストンマーチンとのハイパーカープロジェクト「ヴァルキリー」に至るまで、F1以外の領域でその腕を奮った。

現場を離れたとは言え、ノートを手にグリッドを歩き回る姿がよく見られるように、ニューウェイは依然としてF1マシンのデザインに多大な影響を与え続けている。2018年には女性限定のフォーミュラカーレース「Wシリーズ」をデビッド・クルサードらと共同設立し、同年秋には電動SUV戦「エクストリームE」への参戦に向けて、新チーム「ベローチェ・レーシング」をジャン=エリック・ベルニュらと設立した。

電動SUVエクストリームEに参戦するベローチェ・レーシングのエイドリアン・ニューウェイとジャン=エリック・ベルニュ
© Extreme E、ベローチェ・レーシング立ち上げを発表したエイドリアン・ニューウェイとジャン=エリック・ベルニュ

レッドブルにおいて、ニューウェイが手掛けたF1マシンのレース優勝は100回を越えた。ハイブリッドターボが導入された2014年、フェラーリからレッドブルの2倍以上の年俸を提示された移籍のオファーを受けたが、これを断った。

ニューウェイはこの決断について「レッドブルがキャリア最後のチームになると思う。幸い経済的には、働きたくなければ働く必要がない立場にいる。チームにいる理由は楽しいからだ。楽しくないのに楽しいようなふりはしない」と語っている。

ドライバーズタイトルを獲得した10車

  • 1992年ウィリアムズFW14B / ナイジェル・マンセル
  • 1993年ウィリアムズFW15C / アラン・プロスト
  • 1996年ウィリアムズFW18 / デイモン・ヒル
  • 1997年ウィリアムズFW19 / ジャック・ヴィルヌーブ
  • 1998年マクラーレンMP4/13 / ミカ・ハッキネン
  • 1999年マクラーレンMP4/14 / ミカ・ハッキネン
  • 2010年レッドブルRB6 / セバスチャン・ベッテル
  • 2011年レッドブルRB7 / セバスチャン・ベッテル
  • 2012年レッドブルRB8 / セバスチャン・ベッテル
  • 2013年レッドブルRB9 / セバスチャン・ベッテル
  • 2021年レッドブルRB16B / マックス・フェルスタッペン

ライバルも手に取るHOW TO BUILD A CAR

ニューウェイは2017年に初の著書「HOW TO BUILD A CAR」を発売した。V6ハイブリッド時代に支配的な強さを誇るメルセデスのブラックリーのファクトリーには、稀代のカーデザイナーが書いた本書が飾られている。