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小林可夢偉

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小林可夢偉とは、兵庫県尼崎市出身のレーシングドライバー。9歳でカートからキャリアをスタートさせ、F1公式サイトで「オーバーテイクキングのコバヤシ」と評された日本人初世界基準のドライバーである。F3・GP2などを経て2009年にトヨタにてF1デビューし、翌2010年には実力でBMWザウバーF1チームのレギュラードライバーの座をつかむ。

タイトルレースがザウバーの小林可夢偉のパフォーマンスの影に隠れてしまった。可夢偉はまだ荒削りだが、すでに私がこれまでF1で見てきた日本人ドライバーの中でベストのドライバーだ。彼のレーステクニックは向上している。日曜日に彼が見せたオーバーテイクは驚異的だった。アグレッシブでありながらコントロールされており、非常に素晴らしかった。via : デビッド・クルサードのコラムより

2009年トヨタよりF1デビューし、2012年までザウバーF1チームで1stドライバーをつとめるも、チームの財政状況の絡みもあり放出される。F1浪人となった2013年は、アジア人として初めてスクーデリア・フェラーリとドライバー契約し、AFコルセから世界耐久選手権(WEC)へ参戦。翌年の2014年にファンからの募金を元手にケータハムよりF1に復帰する。チームメイトはマーカス・エリクソン

小ネタ

  • 名前の由来。アイヌ民族信仰の神「カムイ」、「偉大な夢を可能にする」
  • 実家は寿司屋。トヨタF1撤退後「レースが続けられないなら寿司屋に」
  • 子供の頃の夢はお笑い芸人
  • 小学6年生の時TV番組で鈴木亜久里とカート対決。亜久里さんレース後涙を浮かべ「悔しかった。遊ばれとった」
  • あびる優は小林のガールフレンド。黒木メイサは小林のガールフレンド。
  • 可夢偉のマシンの名前はトモコ

フォーミュラ・ルノー選手権時代2004-2005年

2004年トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援下、フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズに参戦しランキング7位の成績を収める。2005年度はイタリアシリーズに加えユーロシリーズも戦い、両シリーズとも制覇し、フォーミュラ・ルノー選手権での日本人初のシリーズチャンピオンに輝いた。

F3・ユーロシリーズ時代2006年-2007年

ダラーラF305・メルセデスで参戦しルーキーカップを獲得。またF3マカオGPではポールポジションを獲得。ちなみにこの時のチームメイトはセバスチャン・ベッテルである。2007年の第4戦でポールポジションを獲得、ポール・トゥ・ウィンで初勝利を果たす。チームメイトはロマン・グロージャンニコ・ヒュルケンベルグ。シリーズ4位に終わった。

GP2時代2008-2009年

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2008年はGP2に参戦。マレーシアGPでGP2で日本人初となる優勝。スペインGPでも優勝と立てつづけに勝利を重ねる。そして2008年GP2アジアシリーズチャンピオンを獲得。日本人がF1直下のカテゴリーで王座を獲得したのは初めて。

トヨタF1チーム時代2009年

2009年第16戦ブラジルGP、ティム・グロックの負傷によりF1デビューを飾り、2戦を走って全世界に衝撃を与えた小林可夢偉。雨の予選11位。決勝レースでは9位。同年タイトルを決めたジェンソン・バトンと互角の勝負を展開し、地元ブラジル紙は「チャンピオンに輝いたバトン、勝利したマーク・ウェバーと同様にすばらしい」と大きく報道、また英国のウェブサイトではファン投票によってベストドライバーに選ばれ、輝かしいデビューを飾った。

ザウバーF1時代2010-2012年

ザウバー時代の小林可夢偉
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2010年

トヨタF1チームがF1から完全撤退したことで2010年ザウバーに移籍。チームメイトはベテランのペドロ・デ・ラ・ロサ。

ヨーロッパGPでは予選18位からのスタートであったが、フェルナンド・アロンソをオーバーテイクしたのに続けて、ファイナルラップの最終コーナーでセバスチャン・ブエミをオーバーテイクし7位入賞。世界中にオーバーテイクキングコバヤシの名を刻みつけた。

母国日本GPでは一体何度オーバーテイクしたのやら…。予選14位からのスタートで計5回のオーバーテイク。可夢偉自身も何回抜いたのか覚えていないと語っている。決して競争力の高いザウバーのマシンで、ルーキードライバーとしては最も高いポイントである32ポイントを獲得しランキング12位に終わった。

チームメイトのペテロ・デ・ラ・ロサに7勝2敗5分、ハイドフェルドに3勝1敗1分。ヴィタリー・ペトロフ、ニコ・ヒュルケンベルグ、ジュール・ビアンキ、キミ・ライコネンを抑えて、英オートスポーツ紙のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。

2011年

デ・ラ・ロサに代わりルーキーのセルジオ・ペレスがチームメイトとなったことで、可夢偉はシーズン二年目にしてチームリーダーの役を担うことになった。
2011年マシンのC30は可夢偉によれば悪くない仕上がりだったものの、シーズン途中にブロウンディフューザー絡みの規約変更があったため、それ以降苦戦を強いられ、ドライバーズランキング12位でシーズンを終えた。ちなみにチームメイトのペレスは同16位。

2012年

仏製音速ミサイルの砲撃、はまらない戦略、そしてマシントラブルと、数々の表彰台獲得のチャンスを台無しにされるという不運な一年を過ごす。
チームメイトセルジオ・ペレスが幸運に見舞われた一年であったのと比べると、非常に対照的なシーズンであった。
対ペレスとの12年シーズンの獲得ポイント数は僅差で敗れるも、入賞回数は可夢偉の方が2回ほど多かった。

第3戦中国GP
予選で自己最高となる4番手を獲得(2位のルイス・ハミルトンのペナルティにより決勝は3番スタート)するも、スターティンググリッドにオイル汚れがありスタートに失敗、10位に終わる。ファステストラップ記録。
第5戦スペインGP
予選Q3進出もハイドロ系のトラブルに見まわれ10番手スタート。決勝では自己最高タイの5位入賞。
第8戦ヨーロッパGP
予選7番手でスタートし、2周目には4位までポジションを上げるも、ピットストップトラブルで順位を落とす。その後フェリペ・マッサと接触してリタイア。
第9戦イギリスGP
予選が雨による赤旗中断の波乱のスタート。可夢偉は12番手となるも、前戦マッサとの接触によるペナルティーにより17位スタートに。37週目のピットストップ時にメカニック3人と接触。決勝は11位フィニッシュのノーポイント。
第10戦ドイツGP
雨の予選でのタイヤ戦略に失敗し13番手スタートも、決勝では珍しく戦略面がうまくいき5位フィニッシュ。その後、2位セバスチャン・ベッテルの20秒加算ペナルティによって、自己最高の4位入賞を果たす。
第12戦ベルギーGP
予選2番手スタートのフロントロー獲得(2004年第7戦ヨーロッパGPの佐藤琢磨以来の日本人フロントロー)も、スタート直後恒例のグロージャンミサイルにより撃沈。なんとか完走するも13位フィニッシュでノーポイント。
第15戦日本GP
予選4番手となり、3位だったジェンソン・バトンのグリッド降格処分のため3番グリッドからのスタート。決勝スタート直後にマーク・ウェバーをかわし2位に浮上も1回目のピットインのタイミングが悪くフェリペ・マッサに逆アンダーカットされ3位に。その後は4位走行中のジェンソン・バトンの激しい猛追をかわし見事3位でチェッカー。日本人として2004年アメリカGPでの佐藤琢磨以来8年ぶり、また鈴鹿では1990年鈴木亜久里以来22年ぶりの日本人3人目のF1GP表彰台を獲得した

シーズン開幕前にTwitterとFacebookページを開設。小林可夢偉Twitterアカウント

AFコルセ時代(WEC)-2013年

2013年シーズンのシートについて、2012年に所属していたザウバーF1の財政状態が好ましくなく放出が濃厚となった小林はTopチームへの移籍に向けて動く。2013年11月23日に、ファンからの「資金協力をしたい」という声に応える形で、支援金を募る「KAMUI SUPPORT」を開設。わずか一ヶ月ほどの間に1億8400万を集めるもロータスがグロージャンの残留を発表すると「戦えるチームへの移籍が不可能になった」として翌期のF1シート獲得を断念。実はこの時ザウバーから10億円の資金持ち込みを要求されていたと言われる。

この結果2013年は、アジア人として初めてスクーデリア・フェラーリとドライバー契約し、AFコルセよりFIA世界耐久選手権(WEC)に参戦。チームメイトは、ジャンカルロ・フィジケラ、ジャンマリア・ブルーニ、トニ・バイランダー。WECではバイランダーとコンビを組みマニュファクチャラーズタイトル連覇に貢献した。

ケータハムF1時代-2014年

KAMUI Kobayashi photo
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KAMUI SUPPORTの資金に加えて企業のスポンサーからも資金を調達し計800万ユーロ(約8.8億円)強の資金を確保しケータハムでレギュラードライバーの席を手に入れF1復帰を果たす。チームメイトは新人のマーカス・エリクソン

エリクソンに対して予選・決勝ともに大きく勝ち越すも、シーズン半ばに資金難からチームが身売りされてしまう。この影響は大きく第12戦ベルギーGPでアンドレ・ロッテラーと交代。以降破産寸前のチーム事情に翻弄されながらも、クラウドファンディングによる資金調達によってチームは最終戦アブダビGPにはなんとかエントリー。これが可夢偉のF1最後のレースとなった。

WEC&スーパーフォーミュラ時代-2015年~

消滅したケータハムを離脱した可夢偉は、古巣トヨタからスーパーフォーミュラ岡山テストへの参加オファーを受けたことをきっかけにチームルマンからSF参加。12年振りの国内レース復帰を果たし、参戦初年度にJAF全日本選手権スーパーフォーミュラルーキーオブザイヤーを受賞。以降トヨタとの関係を軸にFIA世界耐久選手権(WEC)にトヨタワークスから参戦。